マッチ売りの少女はおろか者

いきなりこんなカゲキなことを言(い)ってしまったら、ドキッとして目(め)をまんまるにしてしまう人(ひと)、きっと多(おお)いだろうな。

ふつう読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)というと、何(なに)が何(なん)でもぜったいに感動(かんどう)しなくてはいけないし、これから生(い)きていくのに大切(たいせつ)なことを学(まな)びとらなくてはいけなくて、しかもとってもよいお話(はなし)で、たいへん勉強(べんきょう)になりました、と書(か)いてマルをもらわなくてはなちない。そう考(かんが)えてしまう人(ひと)がホントに多(おお)いんだよね。

きっと、そういう人たちが、"ドキッ"としたのに決(き)まっているワケ。とボクは思(おも)うのです。でも、君(きみ)たちは、そんなふうに考(かんが)えることはないんだよ。

さて、なぜマッチ売(う)りの少女(しょうじょ)はおろか者(もの)なんだろうか。あんなかなしいお話(はなし)のヒロインなのに……、君(きみ)たちは、みんなそう思(おも)うだろうな。

でも、実(じつ)はこれ、ボクが大(おお)きな頭(あたま)の中(なか)で、ウームウームとうなりながらかってに考(かんが)えたんじゃなくて、なんと小学校(しょうがっこう)五年生(ごねんせい)が書(か)いた作文(さくぶん)なんだ。オドロキだろー。

その中(なか)で、五年生(ごねんせい)の子(こ)はこんなことを言(い)っている。

「マッチ売(う)りの少女(しょうじょ)は、自分(じぶん)から進(すす)んで幸(しあわ)せになろうとしなかった。だから売(う)り物(もの)のマッチをもやして死(し)んでしまった。自分(じぶん)で生(い)きていこうという気(き)がなかったんだ。」

これは、とてもりっぱな考(かんが)え方(かた)だと思(おも)う。ボクは、パチパチパチッと大(おお)きなはくしゅをおくりました。

みんなの感想(かんそう)文(ぶん)を読(よ)むと、そのほとんどが〝少女(しょうじょ)はとってもかわいそう……〟というないようで終(お)わっているね。でもこれを「本(ほん)の読(よ)み方(かた)」として考(かんが)えてみると、あらすじを考(かんが)えただけの読(よ)み方(かた)なんじゃないかな。せっかく感想(かんそう)文(ぶん)を書(か)くのに、これではつまんないよね。

ひとつのお話(はなし)や物語(ものがたり)から、自分(じぶん)なりの意見(いけん)や思(おも)ったこと、あるいは考(かんが)え方(かた)をみちびき出(だ)していく。そこに読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)といわれる文章(ぶんしょう)を、書(か)くヒミツがあるんだよ。

たとえばね。今(いま)この五年生(ごねんせい)の意見(いけん)を君(きみ)たちが知(し)って、ふーんそんな考(かんが)え方(かた)もあるのかって思(おも)ったとするよね。それだけで、もうマッチ売(う)りの少女(しょうじょ)についての読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)は、君(きみ)たちなりの考(かんが)えで書(か)いていけるハズだろう。

つまり、幸(しあわ)せっていうものは、待(ま)っていればしぜんとやってきてくれるものじゃなくて、自分(じぶん)から、その両手(りょうて)でしっかりとつかむもの。そういう考(かんが)えが、意見(いけん)が、この物語(ものがたり)から読(よ)みとれるということなんだ。

いやいや、そこまでわかればあとはかんたん。テストが悪(わる)いのを、そこのだれかさんのように他人(たにん)のせいにしたり、人(ひと)をいじめることはいけないことだなんて考(かんが)えに、ググッと力(ちから)をこめて話(はなし)を持(ま)っていってしまえばいい。そんな身近(みぢか)なところから、自分(じぶん)の考(かんが)えを太(ふと)くたくましく、きんにくモリモリに肉(にく)づけしていくことができるハズだよね。

こんなふうに自分(じぶん)の意見(いけん)や考(かんが)えを語(かた)っていくこと、それが読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)の、第一(だいいち)のテーマなんですぞ。

自分(じぶん)の語(かた)ろうとしていることを、目(め)の前(まえ)においてある本(ほん)の中(なか)から、みちびき出(だ)していく。それをしなくちゃいけないんだよ。ワカルカナー。

 

 

 

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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)