よだかの星

ついでだから、宮沢(みやざわ)賢治(けんじ)の作品(さくひん)をもうひとつ出(だ)してみよう。この『めくらぶどうとにじ』は、なかなかおもしろいお話(はなし)だよ。

さっきのおきかえを使(つか)って考(かんが)えてみると、にじはねがいやのぞみ、きぼうであり、めくらぶどうは私(わたし)たち、ということになるだろうね。もちろん他(ほか)のものにしてもいいんだけど……。

かりに、そうして考(かんが)えてみると、チビや、フトッチョ、しゅじゅつ前(まえ)のベトちゃん、ドクちゃんも、みんなびょうどうなんだ、とか、みんないずれ死(し)んでしまうとか、みんなに当(あ)てはまる、さも正(ただ)しいりくつでくくってしまうのは、どうもおかしな気(き)がしてくるんだ。

どうがんばっても、人(ひと)は人(ひと)以外(いがい)にはなれないし、ネコはネコだし、ありのまま生(い)きようとしたアリは、アリのままでしかないんだよ。

そんなことをかれ、宮沢(みやざわ)賢治(けんじ)はボソッと言(い)っているような気(き)がするね。

正(ただ)しい教(おし)えとかは、いろんな見方(みかた)やゆめやきぼうをあたえるけど、同時(どうじ)に、どうしようもないぜつぼう感(かん)も味(あじ)あわされるんだ。

このへんのめくらぶどうという言(い)い方(かた)は、なかなかすばらしい。雨空(あまぞら)の後(あと)に空(そら)をいろどるにじというのも、なかなかしょうちょうてきだね。

この二(ふた)つは何(なに)をおきかえているのか。じっと考(かんが)えてみると、どこまでもどこまでも考(かんが)えついていくよね。

読(よ)み方(かた)の法則(ほうそく)なんてありゃしない。好(す)きに読(よ)めばいいんだよ。

 

 

 

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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)