ゴムあたまポンたろう

ゴムあたまポンたろう

長 新太・作 / 童心社

 

絵がいいね。見ているだけで絵の世界に吸いこまれてしまいそうだ。ピンク、オレンジ、青、みどり。あざやかな色がたくさんつかわれていて、とっても  カラフル。きれいだ。「自然」っていうのはこんな感じなんだよね。

ポンたろうのような「ゴムあたま」を持って、ポンポンはねていったら楽しいだろうなー。

この作者の本にはいつも感心させられる。ステキな本だ。そしていろんな メッセージ(伝えたいこと)がつまっている。

さぁ、ボクといっしょに感想文のためのキーワードさがしの旅に出ようか。

 

【あたま】

「あたま」が主人公。あっちにいってはポン、こっちにいってはボン。やわらかく、はずみやすい。ほら、これだよ。「あたま」をつかおうよ。

ここでウラ技。

この「あたま」をポンたろうから、ボクらの頭に持ってこよう。

世界で一番大きくて、広くて、深いものはきっと頭だよ。思いうかべる。考える。これは頭でしていること。いいかい。なかみのことを言ってるんだからね。

とすればこんなことが言える。このストーリー(物語)の中で、「ゴムあたま」がぶつかっているのは、いろいろな「けいけん」だ。ぶつかって、はねかえ   されていく。

そうしないと、一つのところにくっついたまま、はなれなくなっていく。いろんなことを「けいけん」しようよ。なんでもかんでも「けいけん」だよ。そして頭をやわらかくして、弾力をつけていこうよ。

こんなことを読みとっていくことができるんだよ。

話のおわりの場面で、ポンたろうは木の上で休んでいるよね。そう。さいごのページでは木のえだがポンたろうをささえているけれど、しばられているわけではない。休むことにしたけれど、その場所からうごけなくなって、自由を失っているわけでもない。このあとまたポンたろうは旅をして行く。いつまでだろう。もしかしたら死ぬまでかなあ。

ボクたちってそうやって、ポンたろうのようにいろいろな所をまわりながら生きていくんじゃないかな。

はねかえされるたびに、きっと強くなっていく。「けいけん」「しげき」によって世界を知っていくんだもの。

考えるとか、ものごとを知るとはどういうことか、といったことを切り口にするとけっこうおもしろい意見が生まれてくるよ。

 

【やわらか】

やわらかいからはねる。かたかったら自分の頭か、ぶつかる物がこわれていく。

石頭でははねない。やわらかすぎるとピタッとくっついてはなれない。

このへんは、いろいろ考えることができるところだよ。ほどほどのやわらかさ。これがたいせつ。

頭だけじゃない。心もそう。ことばもそう。生きかたもそうかもしれない。

はねるものはうごくからいろんな世界やものごとを知ることができる。重たくてうごかない石と、はねるボールでは、ボールのほうが見ている世界はきっと広いし、多いはず。

ポンたろうはやわらか。これはボクらの中にいる、やわらか頭の、なんでもやれる、もうひとりの自分のことを言っているようにも思うな。

 

【世界一周】

そうなんだよ。なにもうごかす力をつかわずに、道具もつかわずに、世界を一周して行く。これはなぜできるのだろうか。ここにもきっと切り口があるよね。

じつはぎゃくだったりして。つまり、ポンたろうはうごいていない。世界が回っている。なんていうのはどうだろうか。

そうだよ。テレビやインターネットなんかで、ボクらはすわったままで、  うごかないで、世界を知ることができる。だからこそよけいに、そこで知った世界のようすをよく見て、考えていくことがたいせつになる。

きっとポンたろうは世界を何周も何周もする。そして、自分で「けいけん」を重ねて、なっとくしたり、身にしみてわかったりしながら、世界を自分のものにしていくんだ。そう考えるとおもしろい。

地球が回転する速さとおなじ速さで回っている人工衛星は止まったまま。 その場にいつづければ世界はせまいし、見えるものはおなじ。ボクらの体と耳と頭はいつも、いろいろな世界の中を、世界中をとび回っているのかもしれないよ。

 

【バラ】         

ね、きれいな花にはトゲがあるだろう。(ボクはそれで何回もたいへんな目にあってるんだから。トホホ。……なんのこと言ってるのよぉ!)

えーと。

これはおもしろい切り口になる。いいかおりのするバラの花はやわらかいので、あたってもはずんでとんでいけない。そうなんだよ。そこに落ちて、うもれてしまうんだよ。きれいな、いいかおりのする花の中は、いごこちがいいだろうから、うごかなくなる。そしてそれっきり。きれいな花には気をつけよう。

ポンたろうはしあわせだ。トゲが出てきてくれたもの。チクリ。

トゲにあたったからはなれることができる。

しかし、ささって、うごけなくなってしまったら、これは悲げき。ウーム。考えさせられるよね。

こういうことってあるんじゃないかな。パパやママに、そんな「けいけん」を聞いてみてもおもしろいかもしれないよ。

このポンたろうの話では、バラのときのように、あちこちで出会う思いがけないできごとや場面に、それぞれ意味があると思って見ていくと、またちがった読みかたができて、味が出てくるよ。

 

【ハリネズミ】

ためしにハリネズミで考えてみようか。

それにしてもハリネズミってかわいそうだね。さむいときやあまえたいときに体をよせあうとおたがいのハリでさしてしまうものね。いたいよ。

だから体をくっつけられない。人間でよかったなあ、と思うな。こんなとき。

けれど人間もハリのような「ことば」を持っている。「とがった気持ち」のハリも持っている。そう考えてしまうと見えないハリを持っていることになるな。オーコワ。

ハリネズミがひっくりかえって足でける。

これだ。これは「愛情」だよね。

しかしさっきのバラやハリミズミは世界をとび回らない。それでしあわせ なんだろうか。よけいなことかもしれないけれど、ふと思ってしまった。

世界をとび回れないバラやハリネズミが主人公だとしたら……。とび回れるものをどう思っているかとか、ポンたろうがどう見えるかとか。そうやって考えてみるのもおもしろいな。まったくちがって見えてくるよ。

 

【スポーツ】

この本の中にどれだけのスポーツが登場してくるかしらべてごらんよ。野球だの、バレーボールだの、サッカーだの。

ポンたろうをボールに見立てて、おおおとこがつの(・・)で打ったり、ジャングルの木が手をのばすようにしてぶっとばしたり、ハリネズミたちがけったり。

スポーツに国境はない。スポーツをとおして世界の人たちは手をつなぐことができる。ボール一個あればすぐ友だちもできる。ポンたろうはボールになって世界をつなぐ……。そんなことを切り口にしていくのもいいかもしれない。

でもね、そうは言ってもスポーツを楽しむのではなく、スポーツでのきそいあいが国どうしのたたかいになっているところもある。人はあらそうんだね。なぜだろう。

オリンピックで国のはたをあげたり、国ごとのメダルの数をきそったりすることが原因かもしれないなぁ。チームや選手ひとりひとりのテーマソングを流したら楽しいのに。プロ野球のピッチャーや、プロレスのレスラーみたいにね。

ポンたろうがぶつかった、登場するものたちがいっしょにいたら、あらそいごとがおこるんだろうか。

金太郎とクマに聞いてみたいところだね。

スポーツの話が出たから、ついでにこんな切り口はどうだろう。

人はたたかって強くなる。としたら、ポンたろうはなにとたたかっているんだろう。考えてみてごらん。

 

【ポンたろうの生きかた】

このことを考えてみないか。あいての力によって空中にいられて、とびつづけている。自分の力ではないよね。それでいてポンたろうは、おどろいたり、こわがったり、しんぱいになったり、泣きたくなったりしている。考えたり、思ったりしている。感情もある。けれどなにごともあいてまかせ、風まかせ。

読んでいて、こんなふうにしていられたらいいなーと思う。同時にちょっとつらいかな、と思ったりもする。ボクにはきっとできない。「意志」を持ちたいもの。「意志」というのは、なにかをやりとげようとする心や、はっきりとした考えのことなんだ。いやいや、このポンたろうも「意志」があるはずだよ。ポンたろうは世界を回ろうと思っていたのかもしれないね。

でもね、すべてまかせていくぐらいの気持ちでも人は生きていけるのかもしれない。そのほうがいいのかもしれない。そう。地球と一つになって自然に生きていくといいんだ、とかね。でもそれってむずかしそうだよね。

ウーム、ウーム。

きみの意見を聞きたいよ。

 

なっ、おもしろいだろう。いろんなふうに読んでいくことができる。切り口はいっぱいあるし、テーマもかんたんなものから、深く考えられるものまで、いくらでも見つけられる。

どんなふうに読んでもいいんだよ。

「ボクはじつはポンたろうです」

「にわにさいたバラに、はなを近づけたらチクッ。ビックリして、とびはねてころんでしまいました。このときボクはポンたろうでした」

なんて自分のことを書いていくのも楽しいジャン。

それにしてもこの本の絵はいいな。ゆうれいのところは、かわいくてちょつとそれらしく見えないけれど。あとの絵は額に入れてかざっておきたいよ。

物語の書き手が絵も書くとこんなにもゆたかな作品になる。この長新太という人はすごいね。ほかの本も読んでみたくなるよね。

 

 

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※出典:これできみも読書感想文の名人だ(1999年)