心の森


心の森

小手鞠るい作 金の星社

 

これは名作だと思う。特にこの作家の描く場面、情景、どんな小さな細胞にも命が吹き込まれていて、躍動があり、色彩感があり、存在感がある。特に形容のうまさ、かなりの質力のある作家だと思う。季節感や特にこの主要な場面となっている花や木々や森についての描写は客観的という域を超えて既に独自の宇宙を構成しているように受け取れる。こういう作家は花一枚であっても葉っぱ一枚であってもちゃんと自分の中に取り込んで解体して再構成して行く力に長けている。だからこそよくある瑞々しさの表現としての他のジャンルの言葉を持ってきて語ることが得手になる。君は無論本からも学ぶことはあるがこの様な表現方法や言葉の用い方についても学んでいい。

学ぶとは真似ることだという説がある。これは経験上得心のいく説のひとつでもある。徹底的に楽譜やデッサンや作風を真似て、真似つくしてその作家に自分を重ねて初めてそれを通過して行く余力が生まれてくる。君も学習のほとんどは真似から入っているはずだ。挨拶も学校の勉強なども言うまでのないこと。真似ることを嫌がってはならない。むしろ積極的に真似て学習し、そしてそこから離陸して自らの表現を獲得するような空域に遊泳する。それをめざしてもいいと思う。戦後は間違った通説が氾濫して人真似ではなく個性を個性をという風潮がある。しかしこれも経験上だが無理をした個性というものは意外と伸びない。それよりも十分に真似て踏襲してしかし弛まず倦まず階段を上って行こうとする人にのみ個性の称号は与えられるもののように思える。何をしても個性だというものは極端な思想の表現であり、少なくとも表現の世界に置いては真似ることを恐れてはならない。積極的に真似ていくことが有力な学習法としてあると知っていてほしい。よってこの作家の感覚表現や言葉のセンスは君が獲得していいもののように思う。ボクはむしろ冒頭からその魅力に引きずり込まれたと言っていい。批評家としては癪に障るところもあるけれども、しかしいいものはいい。それに対して率直であろうと思う。

さて日本からアメリカに転校した小6の響君。父子家庭の子である。慣れない言葉も不慣れな米国でのほぼ一年の生活の場面が描かれている。しかも響君を語り主として文は形成されている。当然こういう種類の本の傾向としてはこの新しい環境に渡った一少年の心の成長、それをもたらしたエピソード、この二大要点によって作られている作品だとみなしてよい。いつも語る通りお話はストーリーが主役というわけではない。一つの言葉、一つの会話、一つの場面、それに着目してそのことだけをテーマとしていくこともありうる。あらすじに必要以上に傾斜することは無い。ただこの作品は最後まで読んだとき彼が大切に思いこれは恋ではないかと思うくらい思いを傾ける少女の存在、行動、そして死、この帰結に名作だけが持つ気品とより人の心の内奥に向かってぐいぐい語り続ける柔らかい繊細なしかし本質的には強靭な問いがある。これがただの出会いと現在進行形の二人の関係だとしたら作品の興味は半減する。この短命の少女=デイジーが最後死ぬことによって完結する話のように思う。作品としてはデイジーは死ななければならなかった。それを正しく死なせることができるこの作家は遠慮会釈の無い骨太の思考を示している。色々言わなくても良いように思うのでまずはじっくりこの作品を鑑賞してみてほしい。つまりここまでで読解講義の文章は読むのをやめて作品を読んでみてほしい。あるいは読んだ人は再読してみてほしい。その後でこの次からの僕の文にもつきあってくれるとありがたい。

 

<続きは「とっちゃまんの読書感想文書き方ドリル2012」で>