チーズはどこへ消えた?

昔ある国に、二匹のねずみと二人の小人(こびと)が住んでいた。かれらは、毎朝ジョギング・ウェアとランニング・シューズを身につけると、家を出た。そしておいしいチーズを見つけようと、長い間迷路を探し回るのだった。迷路の「どこか」にチーズがかくされているのだ。

ある日、ネズミと小人はそれぞれの方法で、チーズ・ステーションCでチーズを見つけた。

それからは、ネズミも小人も毎朝まっすぐにステーションCに向かい、おいしいチーズを心ゆくまで楽しむ。しかし、ある朝、チーズがなくなっているのに気がつく。さて、二匹と二人がとった行動とは?もう一度おいしいチーズを手に入れることができるのはだれだ!?

◎とつちゃまんのここに注目!

流行(ブーム)になった本だから、もう読んだ人もいるだろうね。ブームに対しては皮肉な気持ちをいだかないでもないけど、売れる本にはそれなりのメッセージがこめられている。そして、テーマ性もしっかりしているね。

この本は、寓話(ぐうわ)の形式を取っている。寓話というのは、テーマをたとえ話で表した話のこと。よけいなものをそぎ落として、大事な部分の骨格を残したもの、ともいえると思う。だから寓話からは、まずは確実にテーマを読み取りたいね。

この本の中にある寓話そのものを、読解対象にしてほしいな。君はそこから何を読み取るのか。集中してほしい。

・チーズ

チーズは目的、といえるだろうね。そして、ある人にとっては実体のあるもの(実際のチーズのようにね)。ある人にとっては、目に見えないモノ。

チーズの持つ意味は、人それぞれにとってちがう。対象をさがすこと自体かもしれないし、さがそうという意思かもしれない。目に見える具体的なモノかもしれない。たとえばお金や宝石などのように。

きみにとってのチーズは何だろう?きみのチーズはどこにある?

・四人というか、二ひきと二人

二ひきと二人は、チーズに対して、それぞれ別の対応をしていくね。最後のほうに名前と由来が書かれていて、「なるほど!」と思う。

これはいうまでもなく現代人の姿だろう。迷路の中を進む現代人。学校の中でも、会社などの組織の中でもそうだ。あるシステムの中で、決められた回路を、つまり、迷路の中を生きている。

迷っても、冷静であれば、迷路はぬけられる。行き先がわかる。しかし、そうでなければ混乱する。「人と同じならOK」という考え方や感じ方しかないのなら、混乱し、やっていけなくなるよね。

だけどさ、ボクは思うんだ。ボクらは離れた視点というものを持つべきなんじゃないの?だって、この迷路の中に入りこんで、「ボクはどのタイプだろう?」

とやっているのって、何か情けなくないか?この迷路から離れた視点、それがほしいじゃないか。君はどう思う?君ならどうする?

・現代の日本

日本の景気、よくなりませんかねえ。総理大臣に「チーズを持って、わかりやすいように見せてくれ」(これはたとえ。わかるよね?)というと、「つぎつぎに生産してください」(これもたとえ)っていうでしょ。困っちゃうよね。

でもさ、ボクらはいつも、自分たちは被害者であり弱者だと思いこみ、国や会社や学校や他人に「なんとかしてもらう」側にいると思いこんでいるけど、ちがうと思う。自分でなんとかすればいいんだ。ボクは、ボクのというだけではないチーズを作り続けて、品質をアップさせていくつもりだ。この本だって、そういうチーズだよね。

チーズをさがすのではなく、見い出す、作る、示すという視点もあるはずだ。どうするかは君の領分。君のやり方で考えてみてほしい。

 

 

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※出典:読書感想文おたすけブック

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チーズはどこへ消えた?

スペンサー・ジョンソン・作 長崎訓子・訳 / 扶桑社