木を植えた男

木を植えた男

ジャン・ジオノ・作 フレデリック・バック・絵
寺岡襄・訳 / あすなろ書房

 

何十年も昔のこと、フランスのプロヴァンス地方を旅しているとき、「わたし」は一人の羊飼いの男に出会った。この地方は、気候が激しくアルプス山脈からふきおろす冷たい北風が有名な土地でもあった。

かれはこの三年間、来る日も来る日も毎日百個のどんぐりを植え付けたという。一人息子を亡くしたかれだが、何か世の中の役に立つことがしたいと。

しかしたった一人の男がどんぐりを植え付けたとして、見わたす限りの荒野がいったいどうなるというのか。

かれは街にもどり、第一次世界大戦に参戦した。破壊の限りをつくしたその戦争の後、わたしはあの荒野に向かった。そこでかれが見たものは……。

◎とっちゃまんのここに注目!

ボクはこの作品が大好きだ。この、もくもくと、とほうもないことをやり続けていながらたんたんとしている男の姿に、どうしようもなくひかれてしまう。

不毛の地に木を植え続ける――男の一念だね。「何もできない」となげくより、何事か、できることを実行していくことだ。やりぬくしかない。この本を読むと、そんな思いを再確認する。

みんなに読んでもらいたい本だ。

・心の世界

ブフィエ氏は家族を失って孤独の世界に入ったという。そして、かれが木を植えようとしたのは、まったくの不毛の地だった。

もしかするとその土地は、かれの心の世界だったのかもしれない。かれは、あれた心の地に生命の種を植えようとしたのかもしれない。

何万本もの木を植えたいという、かれの願望。そこには、ブフィエの意志だけでなく、そうしなければいられなかった、かれの思いというものもあったんじやないだろうか。人の行動は、人の心が作り上げる。

・神のみわざ

男のしたことは「神のみわざにも似た偉業だ」と語り手の訪問者は言う。ボクは、人こそ神だと思いたい。やれば、できる。神にもなれる。

戦火にあっても、ブフィエはもくもくと木を植え続けた。この対比は印象的だ。一方には、戦争という殺戮(さつりく)があり、破壊行為がある。もう一方には、木を、緑を、生命を生み出す行為がある。ここに、言葉にならないメッセージを感じてしまう。

そして、木が育ち、林ができたことで、川に水がもどる。そこからまた、たくさんの植物が育っていく。人が移り住む。耕地ができるようになる。ふたたび村がよみがえる……。

一人の孤独な老人がせっせと続けた行為。そのたった一人の行為がこの世界を変える。すごいことだと思う。

・人間の孤独について

孤独ということについても考えてみたい。ブフィエは孤独だという。ほんとうにそうなんだろうか?孤独はみんなが感じていることだ。ブフィエはむしろ、いつも一人でいることで、そして、自分のやっていることの確かな手ごたえを感じていることで、孤独ではなかったのではないだろうか。

孤独はさまざまだ。人の中にいて感じる孤独。むなしさがつのる孤独。一人でいる孤独より、深刻な孤独もある。

・さて、ポイントは?

感想文としては、ブフィエの偉業を「すごい」とたたえるだけでは物足りない。そうではなくて、「何が尊いのか」をきっちり確認していきたい。

そして、なぜブフィエという男にこのようなことができたのかを考えてみよう。きみにできるか、ということはここでは問わない。ボクはそれより、「一人でもできる」ということの意昧を追求することが大事だと思う。

 

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※出典:読書感想文おたすけブック