ボクちゃんの戦場

ボクちゃんの戦場

奥田継夫・作

第二次世界大戦中、たくさんの都会の人々がいなかへのがれた。都会では、いつアメリカ軍の空襲(くうしゅう)があるかわからないからだ。子どもたちもいなかへうつった。学校ごとたくさんの児童が、いっしょにいなかへ引っ越すことを「集団(しゅうだん)疎開(そかい)」といった。

「ボクちゃん」の四年イ組でも、先生から集団疎開のお知らせがあった。「ボクちゃん」たちもいなかへと向かう。

戦争が終わるまでお母さんにも会えない毎日、級友たちと二十四時間すごす生活とはどんなものか?またお母さんに会える日が来るのだろうか?

◎とっちゃまんのここに注目!

集団疎開の話。実話の意味は重いね。きみたちが生まれる前の話だけれど、目をそらしてはいけないと思う。ただ「かわいそうだ」と泣いてしまうだけではダメだと思う。

考えるべきことがたくさんあるぞ。しかしまずは、事実をしっかり受けとめることだな。

・心の戦場

たとえば考え方の一つとして、この本のタイトルに注目してみよう。

少年たちが兵士になって戦ったという話は、いたましいけれど、歴史の中ではめずらしいことではない。戦火の中を自ら進んで突撃していく少年もいた。そして今も、戦争に苦しみ、悲しんでいる人びとがいる。

戦争くらいばかばかしいことはないとボクは思う。そして、そのばかばかしいことを、ボクらの国でもやっていた。心中(しんちゅう)、複雑なものがある。

このタイトル、少年たちが戦争に行ったということではない。けれども彼らも戦争にまきこまれた。親とはなれて、疎開先でくらさなければならなかった。そういう意味での戦い、そして戦場があった。

いったん戦争が起これば、どこもかしこも戦場になる。心の中でさえも。「心の戦場」といった子がいたよね。その子にいわせると、戦争が終わった今も、戦争は続いている、戦場はなくなっていないという……。

戦争について、きみ自身の考えを確認してみよう。そこから考えをおし進めて、人の生と死の問題、きみ自身がどう生きていくかという問題などについて考えてみてもいいだろう。

そう、すぐに答えは出せなくてもいい。考えること、考え続けることが大切なんだよ。ボクらは同じまちがいをくり返したくないよね。

・ボクらの仕事

すさまじい場面がくり広げられるね。空襲による死、数々のいたましい死。なぜ死ななければならないかと、無念の思いをいだきながら死んだ人がたくさんいただろう。

かつてボクらの国では、こういうどうしようもなく悲しいこと、つらいことがあった。そういう時代があったということをボクらは忘れてはいけないと思う。だから必ず、戦争のころのことを書いた本が必要なんだ。そこで、当時の子どもたちや親たちはどんなふうに生きたか。それを知らなければならない。

知るということは、「戦争はよくありません。平和が大切です」といったような、心が入らないフレーズだけではとらえないということだ。「ひどい」「かわいそうだ」と思うだけで終わらせてしまってもいけない。

なぜ、戦争は起きたのか、起きるのか。なぜ、こういうことになってしまったのか。どうすれば、こういうことがなくなるのか。さけられるのか。そこまで考えるのがボクらの仕事だ。

 

 

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※出典:読書感想文おたすけブック