ブルーバック

ブルーバック

ティム・ウィントン・作 小竹由美子・訳

橋本礼奈・画 / さ・え・ら書房

 

エイベル・ジャクソンと母親のドラは、ウエストオーストラリアのある入江で海と大地の恵みを得ながら暮らしている。

「一日一日が特別な日なんだよ」母親はいつもエイベルにそんな風に言う。

電気も水道も来ていないさびしい土地だが、海を愛する二人の暮らしは、静かで満ち足りていた。そこに海があればよかった。

巨大な青い魚ブルーバックと出会ってからは、エイベルの一日一日はなおいっそうかがやく。だがやがて、エイベルが入江を離れなければならない日がやって来た……。

ゆっくりと流れる時間、移りゆく季節、別れと出会い、死と誕生……。海と共に時を刻む親子の、希望に満ちた物語。

◎とっちゃまんのここに注目(ちゅうもく)

海の音や風が感じられる作品。ボクは一気に読んでしまった。

舞台はオーストラリア。豊かな自然がありながら都市化の波もおし寄せている、そんな所だね。開発業者によるリゾート化計画、石油タンカーの座礁など、自然保護ものの側面もあるけれど、テーマはもっと大きくて深遠だ。

母、海、命、人の生き方や信念。そんなことを探求していきたい。

・入江

母さんは、なぜ一人で入江に残ったのだろう。土地を売って、エイベルといっしょに都会で暮らすこともできたのに。これはとても重要な問いだ。

母さんが入江にとどまるのは、祖先から受けついだ場所だから、入江には父さんとの思い出があるから、だけではない。母さんにとっての入江は、たんなる生活の場、ではないんだよね。

成長したエイベルもまた、入江に帰って同じ暮らしを送る。けっして後悔しなかった、という。なぜ?そこにいったい何があるというのだろう?これは、

感傷だけではとらえきれないよね。

入江は、海と陸が接する場所だ。そして入江には、作者の深い思いがこめられている。「入江はいのちであり、友なのだ」、「母さんは入江の一部だ」――こんな文章から作者のメッセージを読みとりたい。

・ブルーバック

海よりも空よりも青い魚、ブルーバック。いったいどのくらい生きてきたのだろう……。きっと、娘時代の母さんとも共に泳いだのだろう。

エイベルは、「もしブルーバックがしゃべれたら、いろいろな海の秘密を聞かせてもらえるのに」と考えている。

そう、ブルーバックは海のなぞを知っている。そして、ずっと何かを見続けてきた。何を?これも探求してほしいところ。

この魚、いったい何なんだろう……。

・母なる海

父さんは海で死んだが、母さんは海をにくむことをしない。入江にいれば、「孤独感はない」とも言う。それは、あきらめでも強がりでもない。自分たちはずっと海のおかげで生活してきた、だから今度は自分が海を守らなければならない、そんなふうに思っている。

この母さんには、何か確かなもの、意志や思想のようなものが感じられるよね。そして、その確かなものは、エイベルやエイベルの子どもに受けつがれていく。

日本でも半世紀前、いや、つい三十年前までは、みんな母さんとエイベルのように、自然に寄りそって暮らしていたんだよ。しかし今、海と陸、人と自然はへだてられてしまった。人は「母なる海」からやって来た。ボクらの遺伝子にも、海の記憶が刻まれているはずなのに。ボクらは「海の言葉」をわすれてしまったのだろうか……。

「あたしたちは海からきたんだ。海があたしたちの故郷なんだよ」。この母さんの言葉を、きみはどう読むだろう?

 

 

※上記の著作権は宮川俊彦にあります。
※無断での転用・転載を禁じます。

※出典:読書感想文おたすけブック(2008年)