ろくべえまつてろよ

ふかくてまっくらなあなのなかに落(お)ちた犬(いぬ)のろくべえ。なんとかろくべえをあなから助(たす)けだそうと、一年生(いちねんせい)の子(こ)どもたちは、いっしょうけんめいにくふうをする。

◎あな。しかし、まぬけな犬(いぬ)もいたもんだ。自分(じぶん)であなに落(お)ちたくせに、はいあがろうともしない。あなっていうのは、「こんなん」のことだよね。こんなんに出合(であ)ったときに、それをのりこえるちえがなかったら、いつまでたっても、そこからぬけ出(だ)すことはできない。もしも、えいじくんたちにみつけてもらえなかったら、ろくべえはそのままあなのなかで死(し)んでしまうしかなかっただろう。こまったときに助(たす)けようとする人(ひと)があらわれるということは、お話(はなし)だからできる。ふつうは、そううまくはいかないものだ。

◎「わいわい、がやがや」いうだけで、何(なに)もしようとしないのが、このお話(はなし)でのおかあさんとおじさんのやくわりだ。いるんだよね。こういう人(ひと)って。

◎子(こ)どもたちは、おかあさんに対(たい)して「けち」といった。でも、みんながみんな、ろくべえを助(たす)けることにねっしんだとはかぎらない。このことばのなかに、人(ひと)をあてにしたり、自分(じぶん)がやっていることが正(ただ)しい、という思(おも)いこみはなかっただろうか。逆(ぎゃく)に、そのようなおとなたちがいたからこそ、人(ひと)にたよらずに、自分(じぶん)たちでなんとかしてろくべえを助(たす)けようという気(き)もちになれたのではないか。

◎けっきょく、かごにこいびとのクッキーをいれ、ロープでおろしてろくべえを助(たす)ける。でもこのときに、クッキーがかごのなかから出(で)てしまい、ろくべえもかごにのろうとしなかったら、二ひきともあなのなかから出(で)られなくなってしまうことになる。ろくべえの心(こころ)を読(よ)んで、それによって助(たす)けようという方法(ほうほう)はいいね。これは、いろいろ考(かんが)える材料(ざいりょう)になりそう。

◎もしかしたら、ろくべえは、またおなじまちがいをおこしてしまうかもしれないね。この場合(ばあい)、子(こ)どもたちのやったことは、ほんとうにろくべえのためになったのだろうか。

 

 

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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ

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ろくべえまつてろよ

灰谷健次郎・作 長 新太・絵 / 文研出版