救出 日本・トルコ友情のドラマ

救出 日本・トルコ友情のドラマ

小暮正夫・文 相澤るつ子・絵 / アリス館

明治二十三(一八九〇)年九月、嵐の夜。紀伊半島沖で惨事が起きた。外国船が難破したのだ。遭難者の人数は?火をたけ!からだをあたためろ!医者を呼べ! 食料を用意しろ!遭難者は増え続ける。

言葉が通じず、どこの国の人々なのかもわからないまま、紀伊大島(旧大島村)の人々は懸命な救助、救援を行った。船はトルコの軍艦、エルトゥール号だった。

それから九十五年後。遠い過去のできごととして、エルトゥール号の遭難事件はいつしか世間から忘れさられていった。

しかし、大島村の人々の献身をけっして忘れない人々がいた。それを物語る、

胸を打つできごとが、日本を遠く離れた戦火のイランで起きたのだった……。

◎とっちゃまんのここに注目!

明治二十三年といえば、日本は経済的にはまだ貧しく、アジアの新興国家として国民一丸となってがんばっていたころだ。だが、この話の大島の人たちは、自分たちの生活だって大変だっただろうに、難破した外国の人たちをせいいっぱい助けている。助けられた側は感激しただろうな。救助は人として当然の行いのはずなのだが、この話はひどくなつかしく、胸を打つ。それはなぜか?

人の生き方や世界のありかたについて、一石を投じている本だと思う。本に書いてある事実だけではなく、その奥にあるものに着目してみよう。

・人の心に国境は無い

「人のまごころに国境はない。助けを求める人に、救いの手をさしのべただけのこと」。うん、うん、いい言葉だね。

現代が、人が人を殺したり傷つけたりする時代だとすれば、この時代だってそうだった。幕末・明治には、戦争もしていたし、目本人同士の殺し合いもあった。新撰組だってそう。人は生き抜くことに苦心していた。そんな時代。まず、このことをわかっていなければならない。

それから、大島の人々も、トルコの人々も、国の代表のように見えるけれど、ひとりひとりはふつうの人たちだということ。ここに視点をおいてみるといい。

・貸し借りではない

イラン・イラク戦争のときの救助を、大島の恩返しとは考えたくない。前に助けてもらったから借りを返すというような、ケチな根性ではなかったはずだ。見返りを期待する行為でもないし、ボランティアというのともちがう。

長く伝えられてきた思いが、自然に結実した行為であり、たとえば村と村、人と人が助け合って生きるということと同じだと、ボクは思う。「助けずにはいられない」「助けさせてもらう」という気持ちだったのではないだろうか。大島の人々がそうだったように。この点を追うと、核心に迫れるように思う。

・記憶の力

記憶という言葉も、読解のキーワード。なくなった人たちをずっと忘れずに悼んできた大島の人々。トルコの人たちの思い。国と国という関係をこえて、人々の心に浸透してきた共通の記憶がある。そして記憶は、危機に面したときの心構えや心がけをも育む。これ、歴史から学ぶということだね。

日本とトルコの歴史上の関係については、解説を読むといい。勉強になるよ。歴史を学ぶという意味でも、歴史から学ぶという意味でも、この本は貴重だ。

・変わるもの、変わらないもの

政治の形が変わり、世の中が移り変わっても、人の心はそう変わるものではない。人の心に刻まれるのは、情だ。情がプラスに作用すればこの本のようになるし、虐殺、虐待などのようにマイナスに作用すれば、怨みが積もる。結局、問われるのは、倫理や道徳、心ということだね。

この本のような友情の輪を世界に拡げるにはどうすればよいか?国同士がけんかしていても個人と個人はつながることができるのか?きみはどう思う?感想文を書く上で、考えてみてほしい課題だよ

 

 

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※出典:読書感想文おたすけブック(2004年)