だんまりレナーテと愛犬ルーファス

よくある話としては、飼い主をもとめて遠くからやってくる犬の話。これ、今までの基本型だよね。

ところが今回のこの作品はちがう。主人公が犬に会いに行く。

しかもほとんど家出状態で。静かに進んでいくドラマだ。ストーリーにとっぴなところのない、落ち着いたゆったりとした流れの本。

ほんやく(・・・・)本だ。

 

【犬】

一番多くの話に使われているのが犬。一〇一匹わんちゃんみたいに映画にもなる。ドラマにもなる。やはりサルじゃなく、ワニじゃなく、犬なんだよな。

ボクもじつは、犬、大好き。飼ってたもん。ふしぎなことがあった。ボクが仕事のしすぎで、ひどくつかれて、そう、過労で病院にかつぎこまれ、点てきを受けている時、その犬が死んだ。

みんなに、代わりに死んだんだ、と言われた。事実、あとから聞いたらボクの命は危なかったそうだ。

犬はペットとして売られているけれど、ペットというより、もっともっと 近い存在だとボクは思っている。家族だよ。あるいは家族以上のなかまだと 思う。家来でもないし、友だちともちがう。

どんなことがあってもいっしょにいることができる。

人が犬をうら切っても、犬は人をうら切らない。だからボクもうら切れない。

ただかわいがるだけのペットにしておくのはもったいないんだよな。それはきっと犬をたいくつさせ、だめにしていく。今の日本のペットブームは、ちょつと考えちがいがあると思うところもある。

このストーリーの中で主人公はレナーテだろうか。ボクは逆にルーファスだ、と考えてもいいように思う。

言葉を語らず、人によって左右されてしまう。そして待つしかない。この  状態そのものが、あるいは主人公とも言える。

もっとさがしてみるといいよ。この本の主人公さがし。

いろいろな見方で主人公をさがすことによって、思いがけないことが見つかったり、語ることができたりすると思う。

 

【ひっこし】

どうして「ペット禁止のアパート」なんていうことを決めるんだろうね。  マンションでもペットを飼っていいというところはそんなに多くない。

きびしいことを言うけれど、この家族は犬を家族の一員として認めていない。だから置いていく。レナーテだって、なんのかんのと言ったって結局は、一度は捨てたんだ。どこかでぜったいに“天びんにかけた”はずだ。

ボクはそれを見のがしてはいけないと思う。親がなんと言おうが、規則  (決まり)がどうだろうが、一番大切なのは「責任」だと思う。

飼い主を代えたらそれでいいというものじゃない。ルーファスがひっこす 家族を窓から見送る絵がある。ボクはこれを見るのがつらかったよ。

レナーテはてっていして、どこまでもていこうする(さからう)べきだった。そんな意見が生まれていいと思う。捨てられる身になっていない。自分たちの都合や、これから始まる生活が先に進められていく。

救いになるのは、レナーテの、どうしたらいいのかというとまどい。そしてだんまり(・・・・)。

そして ていこうして強硬手段に打って出る。人にほんろうされていく犬が、そこにしっぽをふり、置かれている。

人は一生のうちに何回もひっこしていく。もちろん家を変えるというだけの意味じゃないよ。自分の居場所ということ。学校だって、小学校から中学校へと「ひっこす」。クラスだって「ひっこす」。この友だちからこの友だちへと  人を「ひっこす」こともある。通学だって毎日の「ひっこし」とも言える。

なにを持って行く?

そんな考え方も成り立つよ。そしてそこから切りこんでみるといい。

 

【におい】

このストーリーの中に「におい」について語っているところがあるよね。

ルーファスがにおいをかぐ。ハムスターがセーターのにおいをかぐ。はじめて行った団地の階段のにおい。おんぼろ小屋のかびくさいにおい。青いトラックのにおい。沼のくさった水のにおい。

それぞれの家や建物には独特の「におい」がある。アパートなどは一つ一つの「家庭のにおい」が混ざっていく。

きみのクラスだってきっと独特の「におい」がある。

「におい」。この発想というか、感覚というか、これって犬的だよね。犬もそうやってモノを見きわめていく。一種の「超能力」と言ってもいい。

人は、その「におい」にいつか慣れていき、感じなくなるけれど、犬は覚えている。「におい」を覚えていて、かぎわけるのが日常だもの。

この「におい」に気がつく時に、レナーテはルーファスを感じたはずだ。

ボクらはそんな固有の「におい」を持っている。親たちともちがう。てんでにちがう「におい」がある。

このことはかんたんには言いたくないけれど「個性」というものでもある。きみは「きみのにおい」を持ち、その「におい」を作っていくんだ。

「におい」に関しての思い出や考えたことを書いてみるのもいいかもしれ ない。その時きみも犬の側に立ってこの本を読むことができる。

 

【別れ】

レナーテ本人も言っている。「いつかは……別れる運命なのはわかっている」。その通りだ。ずっといっしょにいることはできない。ボクは自分の飼っていた犬が死んでから、二度と飼わないと決めた。きっと悲しくなるのがいやなんだろうな。気が弱いのかもしれない。

犬はきん(・・)さんぎん(・・)さんみたいに、長くは生きられない。人よりも「寿命」が短い。ボクらは犬の死を見送ることになる。

人と人もそうだけどね。いずれ別れる時がくるんだからしょうがないという気持ちをこの家族は持った。

しかし逆かもしれない。短い間しかいられないから、深く、いいつきあいをしようという発想も持てたはず。

自分たち優先。いらないものは置き捨てる。こういう考えがあると、使い  捨て文化やゴミ問題、環境問題が起きる。

必要じゃない、いらないと思ってしまうものの考え方に原因があるね。

おっとっと。この本から環境問題に発展してしまうタネがあるんだよ。すごいねぇ。

そんな展開もアリだよ。

 

【口をきかないて(・)いこう(・・・)

結局レナーテは不服だ。納得できない。親のやり方が気に入らない。そしてルーファスは恋しい。だんまり(・・・・)のて(・)いこう(・・・)をしていく。

これはいいねぇ。ストライキだ。しかし、すぐに言うことを聞かない親もまたりっぱと言えば言える。最近の日本の親は、この作戦を取られたらきっと 一日で要求をのんでしまうだろう。この子もガンコだが、親もガンコだ。信念があって、たいへんよろしい!なんてね。

そして、ルーファス。犬だよ。犬はしゃべれないもの。だから悲しい。思いはあるのに、言いたいこともあるはずなのに伝えられない。これと同じになっているんだな。

「カンと本能で生きる犬、頭の中でいろいろ考えて生きることができる  ヒト」、こんな言い方がある。そうなんだな。これは「言葉」がテーマということでもある。

語らないことでレナーテはもっと大きなことを伝えている。しゃべることも、しゃべらないことも表現なんだ。

あのー、だからといって白紙で感想文出さないでね。

 

【受け入れる】

家出という行動をとったことによって、結果としては受け入れられていく。だったらはじめっからさー、という気がしないでもないが、そのへんが人間のむずかしさだよね。

行動することの大切さは当然読み取れる。

どうせ言ったってダメだから、なんて言って、くさって、やる気をなくし  たり、いじけたりして、あきらめる人が増えているのが、現在。

そんなことはないんだ。切実さ、つまり、しんけんな、心から本気で取り  組む気持ち、があるかどうかさ。わかんない人はわかんない。でも、わかる人もいっぱいいるんだ。

なんでもやってみればいい。少なくともきみ自身が大きくなっていく。大人以上の心の広さや深さが出てくる。それがゆとり。落ち着きってもんだよ。

なぜ、飼っていいということになったか。このわけをきちんと とらえてみよう。

これだっていろんな考え方が生まれてくるよ。

 

フー。つかれたな。つくえの上のコーヒーがもうぬるくなっていました。  まずいなー。あっ、ボクって心の広さがないのかな。(……アセ、アセッ)

 

 

※上記の著作権は宮川俊彦にあります。
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※出典:これできみも読書感想文の名人だ(1999年)

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だんまりレナーテと愛犬ルーファス

リブ・フローデ・作 木村由利子・訳 本庄ひさ子・絵 / 文研出版