大塚敦子・写真・文 / 岩崎書店
わたしの名前はエミナ。ボスニア・ヘルツェゴビナという国で暮らす小学五年生です。
かつて、わたしの国では、大きな戦争がありました。それまでとなり合って暮らしていた民族の違う人たちが敵同士となって戦い、25万人以上の人がなくなったそうです。ひとりひとりに、家族や友だちがいたはずなのに。
国はめちゃめちゃになりました。家は砲撃でこわされ、畑には地雷が埋まったまま。生きていくために働かなければならないのに、働く場所もありません。
どうして戦争が起こったのでしょう。ふつうの人はだれも、戦争なんかしたくなかったはずなのに。ボスニアのことを知って、あなたにも平和について考えてもらいたいと思います。
◎とっちゃまんのここに注目!
きみたちが生まれたころ、旧ユーゴ連邦では大きな紛争が起こっていた。連日のように痛ましいニュースが報じられていたものだ。
第二次世界大戦後、もう戦争の悲劇はたくさんだとみんなが思ったはずなのに、戦争はなくならない。イラク、パキスタン……。殺し合い、傷つけ合うことを、人類はまだやめていない。いったい、どうしたらいいんだろうね。
写真を見てごらん。緑にいろどられた美しい風景、野菜や花が育つ畑。ここで、戦争があったんだ。家が焼かれ、家族が殺されたんだ。
まず、一つ一つの事実をきちんと知ることから始めたい。
・もしも日本で戦争が起きたら?
日本で戦争が起きたら、と考えてみよう。その時ボクたちはどうすればいいんだろう?戦争を起こさないためには、どうすればいいんだ?ボクやきみが望んでいなくても、戦争は起こるかもしれないのだ。
この本の中でも、住民はだれも戦争を望んでいなかったという。では、どうして戦争は起こったんだ?だれが望んで、戦争を引き起こしたのだろう?この問題、徹底して追求してみるといいと思う。
・「平和の種」と「争いの種」
ボクは昔、世界中の人が友だちになれば、戦争はなくなるのではないかと考えたことがあった。国同士が戦争を始めようとしても、みんなが友だちなら、戦争はできなくなるだろう、ってね。でも、実際にはどうなんだろう?戦争をしないという決意も大切だけれど、それだけではダメなんだろうな。
この本のテーマの「平和の種」。それは、「争いの種」ということをも考えさせてくれる。ボクたちは、「争いの種」をなくすことも考えていかなければならないんじゃないかな?ここに着目すると、現実的な意見を展開できると思うよ。
・「種」から考えよう
作者が紛争の背景について述べていたね(必読だよ)。人種、民族、宗教、言語、貧富……。そう、これらは人を分けてしまう「種」だ。けれども、作者が言っている通り、ボスニアの戦争は、単純な民族紛争や宗教紛争ではない。
では、これらの「種」がどういうことになったら、「争いの種」となり、戦争になるのだろう?「争いの種」がある場合には、血を流さないと――何万人も死なないと、平和は来ないということなのだろうか?抑止策はないのだろうか?世界の平和はどうすればできるんだ?
・スローガンの先へ
考えるべきことは、いろいろある。
豊かな日本で豊かな暮らしを送ってきたきみと、戦火の中を生きてきたボスニアの人たちとを対比してみると、考えを深める手助けになるかもしれないね。
エミナの国で起きたことは、「よその国で起きた、ボクたちには関係ないこと」ではないんだよ。もしかしたらボクらの国でも……?おろかな人類は、戦争を起こさずに済む方法も、戦争をやめる方法も、まだ知らないのだから。
「戦争は悲惨です。平和は何よりも尊いものです」といった、通りいっぺんのスローガンに終わらない、きみの深い考察を期待している。
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