オニたろうのぎゃくしゅう

もちろんオニたろうなんているわけありません。『ももたろう」は、オニが島(しま)でオニをやっつけて、めでたしめでたしで終(お)わっているしね。

でも、ちょっと考(かんが)えてみてごらんよ。ももたろうにせめ落(お)とされ、たいじされたオニの子(こ)どもたちのことを。かれらオニたろうにしてみれば、ももたろうのしたことは、まるでぼうりょくだんで、とんでもないしんりゃくであり、せんそうのしかけ人(ひと)のようなものだろう。ももたろうはただのヤクザの親分(おやぶん)なんだよね。

こんなふうに反対(はんたい)のほうから見(み)たり、考(かんが)えたりしてみること。つまりお話(はなし)をそのまま見(み)るんじゃなくて、その前後(ぜんご)を考(かんが)えたり、お話(はなし)どおりになると、たぶんこんなことが起(お)こるだろうなとか、きっとこんなふうになってしまうぞって考(かんが)えてみることだよね。

たとえば、『シンデレラ』。

めでたく王子(おうじ)様(さま)とけっこんしたのはいいけれど、育(そだ)ちがちがいすぎて、きっとうまくいかずに、りこんしてしまうにちがいない。そういう意見(いけん)もスバラシイと思(おも)うんだ。

シンデレラのその後(ご)を考(かんが)えてみよう。

なんといっても、ひとりは生(う)まれついての王子(おうじ)様(さま)、もうひとりは、まほう使(つか)いにたよらなければゆめをかなえることのできない、ただの女(おんな)の子(こ)。この二人(ふたり)がおしろではたしてうまくやっていけるのか。まわりのだいじんたちと・うまくつき合(あ)っていけるのか、と考(かんが)えてみることもできるだろう。

それも大切(たいせつ)な「読(よ)み」のひとつなんだよね。

ももたろうのお話(はなし)のつづきとして現(あらわ)れたオニたろう。たとえば、このオニたろうは、親(おや)のかたきももたろうをゆるせるのか?ももたろうにとってオニはもちろんオニ、しかしオニたろうにとってみれば、ももたろうはオニなんだ。はたしてオニたろうはふくしゅうするのか。それとも別(べつ)の平和(へいわ)への道(みち)を考(かんが)えるのか。ぶきを使(つか)わないで、ももたろうをやっつけることができるのか。うらみの心(こころ)を乗(の)りこえられるか。

ここらあたりが、大切(たいせつ)なポイントとなってくるだろうな。

多(おお)くの人(ひと)がワクワクしたももたろうのお話(はなし)に、あたらしいかいせつをすることになるんじゃないかな。

 

 

 

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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)