今年、地震があった。きみはそのとき何をしていたか、思いだせるかな。
教室にいた子もいた。
「サッカーしてた」っていう子もいた。
たまたま家でゲームしていた子もいた。
道を歩いていた子もいた。
トイレに入ってた子もいた。
みんなどこかにいたんだな。
☆きみが体で感じたことを書こう
「大震災が起きた」というけれど、それは自身のあとでニュースを見て、大震災だったと知ったんだよね。
「きみが体で感じたこと」、本当はそれがきみにとっての真実だ。
「あとから聞いたこと」と「きみが体で感じたこと」、このふたつは分けないとならない。いっしょにしたら、日本中のみんなが同じ感想を持つことになる。みんなが同じニュースを見たり、聞いたりしているのだからね。
運命のときを、みんなそれぞれちがったむかえ方をした。
そこで時計が止まった人もいる。
机の下に潜った人も。
そこで泣いた人も。
不安になった人も、助けを呼んだ人も。
そして、消えてしまった人も。
みんながバラバラで独特の「そのとき」を持っている。
本当はみんなちがうときを生きているんだ。だから、もし地震の感想文を書くとしたら、全員がそれぞれちがった自分だけの感想が書ける。
「自分らしさ」というのは「自分の体で感じたこと」から見つけられる。三月十一日に、きみが感じたこと、その記憶がきみの震災体験だ。
みんなと同じニュースを見て、震災の規模を知って、同じ理解をしたとしても、それは知識だ。知識と自分の体験とを混同してはいけない。
知識は知識。体験は体験。知識で語るのでなく、体験を語る。そうしないと「自分にとっての震災体験」を語ることにはならない。
☆あえて客観的に考えよう
「かわいそう」「こわい」「悲惨です」
こういった言葉は、感情の言葉だ。
感想文は感情だけでもダメなんだ。それしか見つからないとしても、やっぱりそれでは感想としてはものたりない。
ニュースを見れば、震災の規模が、とてつもなく大きなものだったことがわかる。その大きさに圧倒されるのも無理はないのかもしれない。それでも、あえて「客観化」して、いろんな切り口から検討してみるんだ。
「震災からの復興」について、客観化して考えてみようか。
「復興するというのは、元どおりにすることだろうか?」と考えてみる。そうすると「同じところに家を建てたら、もしかしたら、また津波の被害を受けるかもしれない」ということに気がつくだろう。
それなら「別の復興の方法は?」と、いろいろな切り口で考えられるんじゃないかな。
「どんな地震がきてもだいじょうぶな家ってあるのかな?」そう考えてみるのもいい。
あるいは「義援金をあげるのはいいことか?」というテーマだっていい。人の助け方、助けられ方についてたくさん考えられる。
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※出典:読書感想文書き方ドリル(2011年)