わけのわかんない歌(うた)があるんだよね、知(し)ってる?
そう、みんな知(し)ってる歌(うた)、ずいずいずっころばし。でも、その意昧(いみ)を考(かんが)えてみたことがあるかな。
ずいずいずっころばし
ごまみそずい
ちゃつぼにおわれて
どっびんしゃん
ぬけたらどんどこしょ
たわらのねずみが
こめくってちゅう
ちゅうちゅうちゅう
おとさんがよんでも
おかさんがよんでも
ききっこなしよ
いどのまわりで
おちゃわんかいたの
だあれ
ウム。ぜんぜんわからないよね。
でも何(なに)かこの歌(うた)にはひみつがかくされていそう。たとえば、井戸(いど)のまわりでちゃわんをわったのをかくそうとしているのかもしれない。もしかしたら、とっても大切(たいせつ)な宝物(たからもの)のありかを示(しめ)す歌(うた)なのかもしれない。宝物(たからもの)への道順(みちじゅん)をボクたちに教(おし)えているのかもしれないよ。でも、じつはだれかがたんなる思(おも)いつきで作(つく)ったということも考(かんが)えられるよね。
こういったようにだ、ひとつの歌(うた)を目(め)の前(まえ)でしげしげとながめてみて、ボクと君(きみ)たちは「はてはて、この歌(うた)はいったい何(なん)じゃらホイ?何(なに)を言(い)っているのかな」と脳(のう)ミソがくったくったにつかれてしまうくらい考(かんが)えているのです。
そう。頭(あたま)の回転(かいてん)の早(はや)い君(きみ)も、そうでない君(きみ)も、もうわかったよね。何(なに)をかくそう、じつはいまやっていること、これが文(ぶん)を読(よ)む、読解(どっかい)するということなんだナ。
これから君(きみ)のかこうとしている読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)は、その考(かんが)えたことをだれかにわかってほしい、いや、わかってくれなくてもいいけど、ボクはこう思(おも)っているんだということをかくものなんだ。
だれかが何(なに)かを伝(つた)えようとして、ことばを話(はな)して文章(ぶんしょう)を作(つく)る。君(きみ)もそうだ。
「おかあさん。ボク、これから学校(がっこう)を出(で)ます。それでじゅくから花屋(はなや)さんによって、おねえちゃんのたん(たん)生(じょう)日(び)のプレゼントにするバラの花をかってかえります」
これもまた君(きみ)の伝(つた)えたいこと。
「おなかがすいちゃった」
というのも、そういう思(おも)いがあったから。
そういった、人(ひと)のかいたもの、言(い)ったことを目(め)の前(まえ)にして、「はて、この人(ひと)は何(なに)を見(み)て、何(なに)を思(おも)って、何(なに)を言(い)いたいんだろう」と思(おも)ったりすること。
それから、文章(ぶんしょう)を読(よ)んで「ボクはこう思(おも)う」「こう考(かんが)える」というのが読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)なんだな。
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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ パート2(1・2・3年向)(1990年)