カモのきょうだいクリとゴマ

カモのきょうだいクリとゴマ

なかがわちひろ作 アリス館

 

ボクの研究所のある皇居のそばにはカルガモで一躍有名になった場所がある。せわしない東京人も悠長なものでカルガモ一家が引越しをするとか道を横断するとかいう時になると信号など関係なく車を止めカルガモ一家の愛嬌ある隊列を見守りに送るのだ。都会のひと時の清涼剤のような風物詩が人々の心にある小さなともしびをもたらすように皆話題にし顔をほころばせてみようとする。これがライオンであったらどうか、サルであったらどうか、いろいろ主役を変えて想像してみるが、やはりカルガモはその光景に一番ふさわしい。よくこの喧騒な都心にこういう光景があるものだと思うが、それも道理で皇居はかなりの敷地面積を持つ自然公園であり濠もまた常に水をたたえている。何かで読んだことはあるがこの皇居の森にはすでに絶滅しかかった動物などもまだ生息しているとのこと。無理にでもこういう場所は残さなくてはならない。あるいは作り上げておかなければならない。いつの間にか人は自然と闘い、自然を開拓して自らの環境をテリトリーとしていくような生き方をしてしまったが、人類が100億人にも近づくような時期を迎えようやく自分たちの原点やバランスのようなものを考え始めているように思う。環境問題とは実は解決はそれほど難題ではないのかもしれない。このカルガモの隊列を見守るような心の余地が多くの人々にあるならばむしろたやすいことのようにも思える。この本は水に流されてしまったカルガモの卵を拾い集めて育ててきたそのいきさつが語られている。本の傾向としては自然観察ものであり、当然そこには同じ地上の命を持つ者同士の関係、今流行の言葉でいえば絆ということになるだろうか、それをテーマにしようとしている。他者のその種の観察の記録を読んだときそれへの感想、意見は意外と傾向が絞られてしまう。せいぜいが私も飼ってみたいですとか、育てていくにまつわる苦労や面白さに心を向けたり。無論それでもいいのだけれど、いつも提唱している分析的読解を施してみようという目的からすれば、その読み方にも一工夫、二工夫があっても良いように思う。それには科学者のような、あるいは哲学者のような目を持って分け入って行くことだと思う。そういうチャレンジをしていくためには格好の素材ということができる。

 

<続きは「とっちゃまんの読書感想文書き方ドリル2012」で>