モリー・バング作 さくまゆみこ訳
3.11以来、いやが上にもエネルギー問題は喫緊のテーマとして浮上している。この本にも書かれている通り、未だ電気に関しては風力発電も火力発電も原子力も様々な実験的なものも含めて一長一短があると言われ、未だこれはという方針は定まっていない。とすれば勢い今までの延長線上でとりあえずとりあえずと言ってお茶を濁して行く方向に向かって行くのだろう。日本の原発が全て止まった日というなどという報道はあったけれど、これがずっと止まったままということは恐らくありえないだろうし、どこかでまた再稼働するようになる様に思う。急いでエネルギーは効率よく獲得しなければならないけれど、また焦って中途半端なことをするのも考えものだ。特にこれから次代を担っていく君は今の大人社会の踏襲だけしていれば良いものでは無いのは明らかだ。じっくりと今から基本を捉えてエネルギー問題の未来を構築して行ってほしいと思う。この本はそういうことを目論んでいる。
率直に言って僕はこの本は物足りないと思った。今の日本の小学生の知識としてはもっともっと微に入り際に入り、高度であっても良かったように思う。ひょっとしたら色々な所への配慮があったのかもしれない。しかしそれを差し引いたとしてもこのくらいのことは知っているよと言う知識のある日本人の子は多いのだ。子どもに向けて語ろうとするとき、特に知識などを語ろうとする時は遠慮会釈はいらない。最先端のものであっても、それを徹底して遠慮無く語っていくことが必要だと思う。理科的な知識は日本の子は世界の子たちに比べてもかなり高いと言われている。それゆえに技術立国や科学立国が実現できている。無論そのための問題は多くあるとは言えるけれど、絶えず開発して行こうとする国の申し子だと言っていい。その子たちにきちんと伝えて行くための文は、子供だましのようなものではあってはならず、むしろ一人前の大人以上に敬意を持って子ども向けの言葉でなくても語って行く必要がある様にに思う。ボクが毎週連載している毎日小学生新聞のスーパー読解というコラムはあえて意識的に子ども向けの言葉や論理は使わない。一人前以上と見做して真剣に言葉を送り届けようとしている。そうしたら子どもたちだけでなく大人たちも、先日など70歳の方からも一番楽しみにしている新聞記事だとファンレターを戴いた。そういう時代なのだろうと思う。子ども向けに語れば良いというものでは無く、子ども用の作品ということで無く、子供にも十分わかろうとすれば分かるということを見切って語って行くことが大事なのだと思う。多くの人にわかりやすく語りましょうと言うことは一見歓迎されるように思うけれど、知識や思考力や教養という点からいえば必ずしも正解では無い。その意味も含めてこれだけのスケールで物事を語ろうとするのであれば、もっともっと言葉は多くあって電気の構造を語って良いように思う。ボクたちは知らなければならない。知らないことはあるいは罪であるかもしれないというくらいの気持ちがあって良いのだと思う。そうでないと3.11の原発事故のようなことはさらにこうむることになる。こういう本の場合、感想文を書くのは難しいものだ。としたら「補い読み」ということが大事なのだ。この他にも自分の考えていることや自分の知っている専門的知識や、あるいは自分の興味を持っているエネルギーや発電装置について君の持論としてとうとうと語って行くのはどうだろうか。あるいはこの今言うところのエネルギーというものが、なければならないという文明構造そのものに目を向けていくこともいいと思うし、それに依存する社会の在り方について知性の在り方について考えていくこともいい。あるいは別の本と読み比べていくなどということもあっていい。自分の体験もあっていい。そのようにして補って読んで行くということをここで実験したらどうだろうか。この本は本としてもちろん敬意を表しつつも、この本の枠の中だけにとらわれないほとばしりや展開が君の感想文にあっても良いのだと思う。本は学ぶためのバイブルというだけで無く、自分の考えを語るための土台にもなって行くものだからだ。
<続きは「とっちゃまんの読書感想文書き方ドリル2012」で>