おじいちゃんの桜の木
ぼくはトニーノ。ぼくには大すきなおじいちゃん、おばあちゃんがいる。いなかでくらしている、オッタピアーノおじいちゃんとテオドリンダおばあちゃんだ。
二人の家には、フェリーチェと名づけた桜の木がある。ぼくのママ(フェリチタっていう)が生まれたとき、記念に植えたんだそうだ。ママといっしょに大きくなったフェリーチは、おじいちゃん、おばあちゃんの家族のような存在だ。
いなかの家をたずねるのは最高だ。おじいちゃん、おばあちゃん、フェリーチェ、野菜畑に、がちょうのアルフォンシーナ……。
だけど、五月になって、おばあちゃんが病気だっていうことがわかった。
心臓が悪いのだそうだ。やがて、寒い冬が来て……。
◎とっちゃまんのここに注目!
しっかし、このトニーノという主人公の少年、すごいよな。市長たちを引っ張りだして、おじいちゃんの桜の木を守りきるんだもの。
元気で、勇気があって、無鉄砲で。ボクはとても痛快だった。時には、「無茶」というものも必要なんだよね。お行儀のよさだけじゃ、できないことがあるんだ。
いい作品だ。心の描き方に無理がない。だから、物語がとても身近に感じられる。教訓っぽさがないのもいい。
トニーノも、ママも、ママ方のおじいちゃん、おばあちゃんも、元気がいい。
自由で、奔放で、野性を持っている。だけど、決して、下品でも、無教養でもない。魂の優雅さを持ってるんだよな。
・考えるポイントは?
1 大事なことからずばりいこう。
クライマックスはやはり、「桜の木立てこもり事件」だよね。トニーノが体を張って桜の木を守ったのはなぜだったのか?これを解き明かさなくちゃ。
2 「……だれかがある人を大事に想いつづけているかぎり、その人は死んではいないんだ」――このせりふがいい。このストーリーの中で語られると、何かしんみりと胸にせまってくる。
失われた命と、心臓にとげを刺したまま生きていかなければならない命。
命の重みは大変なものだと思う。
3 「耳をすましてごらん」と、おじいちゃんは言う。ひなにえさを運ぶ親鳥、巣に飛んでいくミツバチ。それらは、耳をすませば見えるという。
日本には、心眼という言葉がある。見えないものも、心で見ようとすれば見える、といった意味だ。これは想像の世界だけのことを指しているのではないと思う。世界を感知しようとする、意志や姿勢が大事ということだ。
そして、この物語のおじいちゃんのせりふにも、そういう大事な意味がこめられている。
町といなかを対比させた物語の設定にも、作者の痛烈な批判がこめられている。
4 「老い」と「死」というテーマも読みとれるね。
ふつうは、少年よりも老人が先に死ぬ。きみも、そうやって、おじいちゃん、おばあちゃんを見送ることになる。そのとき、きみは死をどう受けとめるか。
オッタビアーノおじいちゃんは、痴呆症になったようだ。これも、現実の問題としてある。どうめんどうをみていくか・介護していくか・老人社会をむかえる日本でも、真剣に考えなければならない課題だ。
どう老いていくか、どう死んでいくか――この問題を、きみが知っているケースから、具体的に考えてみるといいと思う。
5 生命のつながり、かかわりということも考えてみたい。
この物語では、桜の木も、ガチョウも、人間も、みな「つながって」いるよね。その関係は、裁判やお役所なんかにどうにかできる単純なものではない。「目には見えないけど、つながっている大事なもの」について、イメージしてごらん。
ところできみは、きみのおじいちゃん、おばあちゃんがすきかい?人間として、長く生きてきた経験のあるおじいちゃん、おばあちゃんから、きみは何を学ぶのだろう?機会があったら、ゆっくり話を聞いてごらん。
次はきみがこういう作品を書く番だよ。
※上記の著作権は宮川俊彦にあります。
※無断での転用・転載を禁じます。
※出典:読書感想文おたすけブック(2003年)
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おじいちゃんの桜の木
アンジェラ・ナネッティ・作 アンナ&エレナ・バルブッソ・絵
長野徹・訳 / 小峰書店