天風のふくとき

天風のふくとき

福明子・作 小泉るみ子・絵 / 国土社

 

静かな文体の作品だ。

まるで、日本がの世界のようだ。ていねいに、ひとつひとつを枝の先まで描こうとしている。

 

☆きみは勇者か? それとも……?

この街には「鳥ヶ峰(とりがみね)の勇者は空をとぶ」という伝説があるんだそうだ。

街の男の子たちが、橋の欄干(らんかん)から下の川に向かって飛び込んでいる。それにはたしかに勇気が必要だ。勇者というのもわかる。

勇者が伝説になっているということは、むかしから勇者は賞賛される立場にいたということだ。

勇者とは、人が臆してやれないことをやってのける。勇気があって、ひるまない。そうした人物は、なぜ賞賛されるのか?これは読みながら考えていいことだ。

 

多くの人は、まわりの人と足並みをそろえて、無難に生きていくのがいいと思っている。中には「目立たないほうがいい」、「地味に安全に生きていけ」なんて言う人もいる。

何かを人より先にしたり、人とちがうことをして目立つのは、きついことだ。きついより、楽な生き方の方がいいのはあたりまえかもしれない。

でも、そうに考える人は、高い橋の欄干から飛び降りる、なんてことはしないだろう。そこに行ったとしても見物している。そして、飛び込む人たちを見て、批判(ひはん)している。

 「飛び込む人」と「見ている人」きみはどっちだ。まずそこを明快にしよう。それでこの本への関わり方が見えてくる。自分の立ち位置がハッキリするからだ。

ただ、感想文を書くだけならかんたんだ。上手な感想文の書き方の本でも読んで、そのとおりに書いたら、まあまあ無難な感想が書けるだろう。みんなと同じような感想だろうけれどね。

しかし、自分なりの意見を持ちたいなら、人とちがう独自の存在でありたいなら、一歩踏み込んで、自分の立ち位置をはっきりさせるんだ。

 

☆積み上げられた石とは、なんだ?

 この街は、高く積み上げられた石垣の上にある「空中砦(とりで)」だ。たくさんの石は江戸時代に積まれたものだという。

この石を、きみはどう見るかな?

 

たくさんの石が積み上がって、堂々とりっぱな街を支えている。この石は意志だ。ひとつひとつの石が、それを積み上げた人たちの意志なんだ。

そうさ。人の歴史というのは、意志の積み重ねそのものだ。長い人生で一回だけ、ほんの少しの勇気を出したいということで、その石を積むことができることだってある。

いつもいつも、人は勇者であり続けるわけにはいかない。ひょっとしたらほんの一瞬勇気をだすために、人生の長い怠惰(たいだ)とためらいの時間はあるのかもしれない。

 

☆祭りとは?

毎年九月、この街で行われるという「風の祭り」。この物語は、その祭りに向かっていく街のにぎわいが背景となっている。

このお祭りを、その土地の儀式としてとらえるだけでは弱い。

人の生きている現実そのものが祭(まつり)なんだ。それぞれの役割や分担を持って、ひとつのことを仕上げようとすることが祭りなんだ。そういう大きなとらえ方をしてみては、どうかな。

 

☆登場人物の変化を読み取る

主人公の林子(りんこ)は小学生、十一歳になったばかりの女の子だ。

この子はすごい。活発で元気がいい。ただのおてんばな女の子かと思ったら物語の途中で彼女の秘密が明らかになる。

病気だったんだ。病気と闘っている。それが、ときに乱暴になったり、無茶をする、そんな生き方につながっている。

彼女は、自分で自分の病気と戦ってきた歴史を持っている。ボクも病気を抱えているから、時間としてよくわかる。

人生に「今度」ということはないんだ。いつも「今」しかないんだ。

極端に言えば「今やらなければ、この次はない」そういうことなんだね。病気をかかえているとそういう気持ちになる。

病気だからこそ、勇気は試される。病気だから、しずんで静かにしているのか、だからこそ一歩踏み出すのか。

この林子の活発さには、危(あや)うさもある。まわりはきっとハラハラしているんだろう。

でも林子には、焦(あせ)りもあるし、割り切りもある。自分はこうしないとならないという思いが、そこにはある。

それが、このひと夏の体験、空中砦の街の子たちとの関わりで、どう変化していったのか、そこを見てみないか。

この作品の大切なポイントでもある。

 

☆作家について調べてみよう

「ばかもんが!」

「気をぬくと、上がってこられんようになるぞ!」

このじいさんの注意がいい。

それを聞いて、だまってうなずく子たちの表情もいい。

いい世界だ。

太陽がまぶしくて、セミの声が聞こえてくる、そんな、突き抜けたような世界。この作家は、そんな世界を鮮(あざ)やかに描いている。

この作家はひとつひとつの場面がいい。ひとつひとつの光景に美があるし、切なくなるような思いがにじんでいる。

この作家、ただものじゃないよ。調べてみるといい。

作家について書いていくのもりっぱな感想文だ。

作品を書くのは作家だ。だから、作家も読解するべきなんだ。

作家を作品の向こうに隠しておいてはいけない。ときとして強引に引っぱり出していい。この作家には、そんな気にさせられる。

 

この作家は、まるで絵のように書いている。

たぶん、この作家は言葉を信じすぎていない。言葉を「正確に伝えられるもの」だと思っていない。むしろひとつの材料くらいに思っている。

だから言葉を材料にして、場面を浮かべてみることだ。

それが作家が伝えたいこと「目標」と「願い」にアプローチしていくいい方法になる。

 

☆男の子だけの街、そんな設定にしたのは「なぜ?」

この子たち、日焼けしていて、元気で仲がよくて……。

「こんな子ども、今どき本当にいるのかな?」と思ってしまうくらいだ。

むかしはいた。たしかに、いっぱいいた。その辺の畑でとれたんじゃないか、と思うような子たちが山ほどいた。

汚かったし、鼻もたらしていた。先生が注意しているのに、橋の欄干の上を歩いたりしてね。にぎやかなものだった。いつの間にか、そんな子どもたちが、いなくなってしまった。どこに行ったんだろう。

この物語の子たちはたっぷり少年時代を満喫(まんきつ)している。少年がほとんどというのもいい。

ここに現地の女の子が登場したら、話はちょっとややこしくなる。この日本画の世界が急に変質していくだろう。

作者は、なぜ林子以外の女の子をださなかったか?

考えてごらん。以外とおもしろい「作品の製作の秘密」がのぞけるんじゃないかな。

この林子の気性は少年のようだ。じくじくしていない。なつの空のようにからーんとして、すんでいる。だからこそ、かなしさやはかなさが感じられるんだけどね。

 

この作品では、みんなが役割を分担し合っている。ひとりひとりがちゃんと役割を持って収まっている。そこがいい。

駅長も、じいちゃんの歌も、みんな役割がある。この作家が素材を大切にする人だということだ。

物語にムダがない。みんな、それぞれが意味を持ってつながっている。

こうやって、ていねいで、きちょうめんに書く作家は少なくなった。のりだけのミーハー作家には、とうてい書けない作品だ。

 

☆タイトルに注目する

タイトル読解というのがある。タイトルに注目して読んでいくんだ。

タイトルにある「天風(てんかぜ)」。不思議な風だ。

クライマックスでは、林子と一(いち)太(た)、ふたりをのせて天へ吹き上がり、最後はふたりを着地させる。これは象徴的だ。

こんな風があるのなら、ボクもぜひ体験してみたい。このふたりの空中遊泳の場面では、読者もいっしょにハラハラしながら空を飛べる。

 

この風はぐうぜんだったのか、それとも運がよかったからか。

この「天風」とはなんだ。そこを考えるんだ。この作品の一番深いところはそこだと思う。

 

もしも、ひとりだったら、どうだったか。ふたりだったから、どうなったのか。そこを考えてもいい。

または、作者のメッセージを読み取ってもいい。

「生きるっていうのは、思い切ることだ」

「心を決めて、勇気を持って挑戦すれば以外とうまくいく。意外と中央突破できるものだ」

そんな作者の声が聞こえる。

きみの考えを聞かせて欲しい。

 

☆作品をひとことで伝える一文を見つける

「いのちって、ほんとうにしぶといもんだな」

そんなセリフがある。そうだ、命はしぶといものなんだ。

なかなか人は死なない。人はちゃんと生きるべき時間を生きていく。本当は、だれでも自分の命の時間を知っているんじゃないかな。

命はしぶとい。それは反対に、そうかんたんに死ねないということかもしれない。

林子は、いさぎよく病気に立ち向かっている。命をフル回転させて、まわりの人たちにもそのパワーを分けている。

病気だったり、たいへんな目にあったりしても元気に生きようとしている、そのパワーがどこから来ているのか考えたらいい。

 

「川にも、花にも、そして月にも心があって」という文がある。この文もこの作品そのものをひとことで伝えている。

川にも、花にも、月にも、それぞれの命がある。そういう気持ちで、この作家は作品をかいているんだ。

病気の人のほうが、実は健康なのかもしれない。最近よくそんなことを考える。どこかに病気の面があると、慎(つつし)み深(ふか)くなって、心がきちんとする。そして正面を向いて、ちゃんと生きようと思う。

ボクがそうだもの。通院するようになって、心は健康になった。

病気になると、自分をしっかりさせようとする。このままじゃいけないと思う。危機感を抱いてこそ人は本気になるものさ。

 

☆よく使われる言葉に注目する

「度胸」ということばが、この作品でよく使われる。なつかしい響きがある言葉だ。最近はあまり使われなくなった。

「度胸があるのはかっこいい」そう思う文化が衰退(すいたい)している気がする。臆病(おくびょう)でも安定していきられたらいいと、みんなが卑屈(ひくつ)になっているような気がする。だから、度胸という言葉は新鮮に響く。

度胸というのは、無茶とは違う。破れかぶれとも違う。勇気という言葉とは同じだけれどね。

そこをこの作品から考えていくのもいい切り口になる。

☆作品の中の歌の意味を考えてみる

じいちゃんの歌の意味をじっくり味わってみよう。

「飛んでみしょ 飛んでみしょ」

鳥のように風を感じて、それで飛んで見ようといっている。

いい歌だ。これは「生きる応援歌」になるね。震災で何もかもなくした人たちにとっても。

歴史を振り返れば、営々として築き上げてきたものが一瞬で失われることなんて、よくあることだ。

天災もある。異民族の侵入もある。盗賊もある。そこでなげいて、終わっただろうか。いや、そこから起き上がってがんばってきたのだ。

なげき悲しんでいれば、なんとかなるものではない。自分でやるしかない。その上で人の協力も受け入れられるようになる。

人が人を助ける。そんなときは、こう助けたらいい。こう助けられたらいい、そんな前提があるはずだ。それを忘れてはいけない。前提もなく、ただむやみに行動したら、相手を壊すことになってしまうかもしれない。

 

☆勇気と思い切りを学ぶ

真剣に生きるほど、勇気と思い切りがいる。

無難(ぶなん)にいきるなんてダメだ、無難な人生なんて本当はないんだ。それは幻想(げんそう)なんだと知っておかないと、とんでもないまちがいを犯(おか)すことになる。

むかしの江戸は「生き馬の目を抜く」といわれた。

でも最近は、世界は安定していて、家柄(いえがら)や学歴があれば安泰(あんたい)な世界になったように見える。

家柄や学歴を信じている親も多いが、それは世間知らずということだ。

 

世界は「生き馬の目を抜く」そんな場所だ。そこで今の日本人は生きられるんだろうか。のほほんとしたボンボン顔で、勇気もなくってね。

だから学校や、テストや、偏差値だけで生きてはいけない。それでは、ロクな人生は待っていない。

この世界で戦う姿勢、勝ち抜く姿勢が必要なんだ。

 

 

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※出典:読書感想文書き方ドリル(2011年)