海からとどいたプレゼント

こりゃおもしろい。ボクもいっきに読(よ)んでしまっちゃった。この作者(さくしゃ)はなかなかうまいね。君(きみ)たちが文(ぶん)を書(か)く上(うえ)で学(まな)ぶところは少(すく)なくないよ。この人(ひと)の色(いろ)の表(あらわ)し方(かた)、そして、形(かたち)や動(うご)きの表(あらわ)し方(かた)、この本(ほん)はそれをみているだけでもおもしろい。

ちょっと長(なが)いけど、一時(いちじ)問(かん)はかからないと思(おも)うよ。

 

1.せんそう

やはりせんそうをひきずっているんだね、今(いま)の日本(にほん)も。ひさんさを君(きみ)たちにつたえ、君(きみ)たちに、「せんそうしちゃえばいいじゃん」、という気(き)もちの起(お)こるのをおさえているみたいだね。それほど、ちょくに言(い)えば、そんなにせんそうというものにはまりょくやみりょくがあるのか、とついつい疑(うたが)ってしまいたくなるよ。

せんそうは人(ひと)と人(ひと)とのたたかいだ。ころし合(あ)い、あいてのせんい(たたかおうとする気(き)もち)をなくしてしまうことで勝(か)ちとなって、終(お)わっていく。今(いま)でも世界中(せかいじゅう)のどこかで、たたかいはおこなわれている。たたかいは人間(にんげん)だけでなく、他(ほか)の生物(せいぶつ)の中(なか)にだってあるよね。それはどうしてなんだろう。

ひさんだということがわかってるのに、せんそうがなくならないのはなぜ?平和(へいわ)というのは、せんそうのないことを言(い)うんだろうか。平和(へいわ)とは、せんそうをどうのりこえて、また、何(なに)をかいけつしていくことで生(う)まれるんだろう?日本(にほん)はせんそうに負(ま)けて平和(へいわ)になったといわれている。じゃあこれは、今(いま)は、平和(へいわ)なのか、たしかにせんそうをのりこえたんだろうか、それなら平和(へいわ)とはいったい何(なに)をしていることをさすんだろう、ボクらは、これが平和(へいわ)だと思(おも)いこんでいるだけじゃないんだろうか。

ほんとうの平和(へいわ)になる方法(ほうほう)、悲(かな)しいできごとがなくなる方法(ほうほう)とは何(なに)かを考(かんが)えながら、この本(ほん)を読(よ)むのもいいと思(おも)う。日本中(にほんじゅう)の人(ひと)は、せうそうはひさんでいけないこと、二度(にど)としてはいけないことと思(おも)っている。しかけてもしかけられても。でもそれは"いけない"と思(おも)えばそれでいいんだろうか。じゃあ何(なに)をどうすればいいんだろう。

死(し)んだ子(こ)と母(はは)との、悲(かな)しい再会(さいかい)をみながら、いくつかのプランをたててみてはどうだろう。

 

2.どうしてせんそうにいったのか

これは、だれでもが疑問(ぎもん)として思(おも)うことだよね。

みんながいったから、それが当(あ)たりまえの時代(だい)だったから、勝(か)つと思(おも)ったから、いかないとひどい目(め)に会(あ)わされるから、行(い)けば家族(かぞく)が幸(しあわ)せになると思(おも)ったから……。

いろんな理由(りゆう)が今(いま)まで語(かた)られてきた。けれど、考(かんが)えてほしい。自分(じぶん)から兵士(へいし)になったんだよ。いくらむりやりにさせられたこととはいっても、させられて、そして、やっぱり兵士(へいし)になったんだ。ということは、そうした自分(じぶん)に、せきにんはないといえるんだろうか。

わざわざ人(ひと)の国(くに)にせめていった人(ひと)をころしたり人(じん)の土地(とち)を自分(じぶん)のものにしたりしておいて、そこでころされたとか、てきにひどいことをされたといったって、自業自得(じごうじとく)ではないか。べつにいかなきゃよかったんだよ。なのにどうして、のこのこ出(で)かけていったりしたんだろうか。

これは根深(ねぶか)い問題(もんだい)とし考(かんが)えてみてほしい。日本(にほん)の人(ひと)たちは、せんそう反(はん)対!平和(へいわ)大(だい)すき!というけど、この問題(もんだい)はいいかげんにすましてきてたようだ。みんな、当時(とうじ)の政治家(せいじか)や、軍人(ぐんじん)や、けいさつや、教育(きょういく)のせいにしちゃってさ、自分(じぶん)にだって半分(はんぶん)はせきにんがあるんだよ。この親子(おやこ)のひげきは、二人(ふたり)でむかえるべくしてむかえたものじゃないのかな……。

という考(かんが)え方(かた)もできるよね。かなりきびしい見方(みかた)だけど、こうしたことは、たぶん思(おも)うことすらいけないと、みんなが思(おも)っていることなんだよ。そうみんながね。だから取(と)り組(く)んでみる価値(かち)があるんだ。

 

3.軍国(ぐんこく)教育(きょういく)

この教育(きょういく)があったから、人(ひと)をころすのもいいと思(おも)っていたなんていうんなら、それはうそつきだ!と言(い)ってもいい。教育(きょういく)は人(ひと)を変(か)えるけれど、自分(じぶん)で考(かんが)えたり、はんだんする目(め)があったなら、人(ひと)のしんねんは変(か)えようとしたって、根(ね)っこまでは変(か)えられっこないんだ。そういう発言(はつげん)は、教育(きょういく)へのせきにんてんかだ。教(おし)えられたからそれをうのみにしてしんじた、というのは、ただのバカだ。バカになることで、せんそうにいったり、人(ひと)をころしたり、ものをうばったりするという、とんでもないこういがゆるされるんだろうか。

 

4.負(ま)けた

日本(にほん)はせんそうに負(ま)けた国(くに)。そして、とうぜんのことだけど勝(か)った国(くに)もある。負(ま)けたからどうなって、勝(か)った国(くに)はどうしたんだろうか。こうしたたんじゅんな見方(みかた)をしてみるのもいいよね。「平和(へいわ)がとうといと思(おも)います」という文(ぶん)だけでいいんだろうか。それはあさい。ただの思(おも)いこみにすぎないことが、みえてはこないだろうか。平和(へいわ)はあるものなのか、それともつくっていくものなのか、考(かんが)えてみてほしい。

 

5.のぞみ

人(ひと)ののぞみは何(なん)だろう?

それは、死(し)ぬ前(まえ)にこの子(こ)が語(かた)ったことばの中(なか)にも、表(あらわ)れているんじゃないかな。"お母(かあ)さん!"とさけんだ特攻(とっこう)隊員(たいいん)も多(おお)かったという。母(はは)に会(あ)い、ともにすごした楽(たの)しい日(ひ)を思(おも)いうかべる…、人(ひと)は最後(さいご)に生(う)まれた所(ところ)へ帰(かえ)っていきたいと思(おも)うものか。母(はは)から生(う)まれる前(まえ)も無(む)。死(し)んだあとも無(む)。なにやら考(かんが)えさせられるね。

ものをのぞまない。人(ひと)と日々(ひび)をのぞむ。人(ひと)ののぞみの形(かたち)や、そこに横(よこ)たわっているものに目(め)を向(む)けると、かなりのことが見(み)えてきそうだね。

 

6.母(はは)と子(こ)

死(し)んでも、母(はは)と子(こ)なんだろうか。

ずっと母(はは)が母(はは)だということは、うたがうことができないこと。たとえ死人(しにん)になったとしても、君(きみ)のお母(かあ)さんは親(おや)でありつづけ、君(きみ)は子(こ)でありつづける。母(はは)と子(こ)、親(おや)と子(こ)というとくべつで、この世(よ)にひとつしかないめずらしい関係(かんけい)。死(し)んでも母(はは)のもとにもどりたいと子(こ)は思(おも)い、母(はは)は子(こ)のことをけっしてわすれない。これは、とうといつながりともいえるし、深(ふか)く強(つよ)いきずなともいえる。まるでふといなわでしばられているかのような、印象(いんしょう)を受(う)けるね。

君(きみ)とお母(かあ)さん、お母(かあ)さんとその母(はは)…それを見(み)ながら、この関係(かんけい)をめぐっていろいろと考(かんが)えてみたちどうだろう。

 

7.死(し)

子(こ)も死(し)に、それを悲(かな)しんだ母(はは)も死(し)ぬ。そして二人(ふたり)を知(し)る人(ひと)も死(し)んで、これは、そのうちあと何百(なんびゃく)、何千(なんぜん)、何(なん)万(まん)年(ねん)かしたら、だれのきおくにものこらなくなるだろう。いずれ死(し)ぬものたち、そこには、あるしゅのあわれさとともに、きびしい生命(いのち)のおきてがあるのを感(かん)じてしまう。

だからこそ人(ひと)は、いぎある生(せい)を、とせめてねがう。けれど、それもまた幸(しあわ)せ・不幸(ふしあわ)せ・貧(まず)しさ、老(お)い、病気(びょうき)などで、なやみ苦(くる)しむ人(ひと)もいるし、それこそせんそうにいって死(し)んでしまう人(ひと)もいる。せめて生(せい)をまっとうし、その一人一人(ひとりひとり)の生(せい)のとうとさをはぐくみ、守(まも)ることはできないものだろうか。そんな人間(にんげん)社会(しゃかい)をつくるには、どうしたらいいんだろう。生(せい)は死(し)をよんでも、死(し)は生(せい)を呼(よ)べない。その関係(かんけい)は一(いち)方向(ほうこう)だけということだ。

 

8.生(せい)のつながり

南洋(なんよう)で死(し)んだ少年(しょうねん)は、きっと海(うみ)の中(なか)で、体(からだ)は魚(さかな)に、ほねもさいきんに食(た)べられ、海(うみ)という大(だい)しぜんの中(なか)でとけていった。そしてクエのおじさんから、コバルトスズメへ……と、星(ほし)のすなと少年(しょうねん)の生(せい)への強(つよ)い望(のぞ)みや母(はは)のおもいをつぎつぎについでいる。この〝死→"でんたつされる〟〝死→あたえられる〟は、この本(ほん)の大(おお)きなポイントになっているんだ。

ひとつは、すべての生物(せいぶつ)はしぜんの中(なか)でもたれあい、つながりあい、死(し)を生(せい)に生(せい)を死(し)に、それをまた、つぎの生(せい)へとむすびつけている。それはとても大(おお)きな生命体(せいめいたい)ともいえるね。だから、そうやってできている大生命体(だいせいめいたい)のくり返(かえ)しが、つねにくり広(ひろ)げられているんだと考(かんが)えてみることなんだ。

 

9.願い

けっきょく、何(なに)を、少年(しょうねん)はクエに、クエはコバルトスズメに、コバルトスズメは死(し)んだ少年(しょうねん)の母(はは)につたえたのか、というと、それは"願(ねが)い"だったのかもしれないと、とらえてみる。そうすると、のぞみというだけじゃない、明日(あす)への、生(せい)への、幸福(こうふく)な日々(ひび)への、平和(へいわ)への、そしてせんそうのこくふくへの願(ねが)い、それらがみえてくるね。それは死(し)をもって語(かた)られていき、少年(しょうねん)も、クエも、母(はは)も、死(し)によって、でんたつされていく。このすさまじいいのちのドラマ(ちょっと大(おお)げさ)は、星(ほし)の砂(すな)にかこつけた願(ねが)いだとみていくこともできるんだ。

星(ほし)のすなというのは、願(ねが)いをかなえてくれるものだともいわれているからね。

 

10.気味(きみ)がわるい

いままでと、ちょっと見方(みかた)をかえてみる。

このお話(はなし)の中(なか)でコバルトスズメが空(そら)をとび、人(ひと)のことばをりかいして、そのうえ、話(はな)すこともできるというのは、おもしろいよね。けれどきょうみ深(ぶか)いのは、それに対(たい)してきみわるい、という人(ひと)の多(おお)かったということなんだ。

自分(じぶん)たちの考(かんが)えていることや思(おも)いこんでいるものが、それとちがったことをすると、とたんにきみわるがってさけようとする。これは、このコバルトスズメだけじゃなくて、人間(にんげん)の社会(しゃかい)でもいえることなんだ。ひょっとしたら、そうしたそぼくなかんじょうが、あの村(むら)のやろうどもは変(か)わっているから後味(あとあじ)わるい。ころしちゃえ!みたいなことになって、人(ひと)はたたかいあったかもしれないね。

もともと人(ひと)と人(ひと)は、自分(じぶん)たちのそぼくなかんじょうや考(かんが)え方(かた)をもとにして、生(い)きてきた。せんそうのわけ、幸福(こうふく)がすべての人(ひと)にもたらされないわけも、このあたりに理由(りゆう)があるんじゃないかと考(かんが)えてみよう。こういう考(かんが)え方(かた)は、一部(いちぶ)のかていから入(はい)って、全体(ぜんたい)をみていく方法(ほうほう)として活用(かつよう)してみるといいと思(おも)うよ。

 

11.親切(しんせつ)

どうして、この少女(しょうじょ)はこんなことをしたのか。コバルトスズメにつきあったのか。人(ひと)はときに、むしょうの見返(みかえ)りを求(もと)めないおこないをするものだ。親切(しんせつ)ということばは、親(おや)を切(き)ると書(か)く。とても意味(いみ)が深(ふか)いんだよね。

 

12.これでよいのか

少年(しょうねん)の声(こえ)をずっともちつづけ、つたえ続(つたえつづ)け、母(はは)のはかに語(かた)った。そうした親子(おやこ)のむすびつきの手助(てだす)けをしただけでいいんだろうか。そこから何(なに)をつかみ、何(なに)を学(まな)んだんだろう。それをどうしていけばいいんだろう。この本(ほん)のないようは、けっしてすじとしてはSF(エスエフ)ではない。

 

13.ひげきか、せいこうか

やはりこれは幸福(こうふく)な母(はは)と子(こ)のお話(はなし)なんだ、とみてしまうのもいいと思(おも)う。そうやって母(はは)と子(こ)が死(し)んだとしても出会(であ)うことができたのだから。中国(ちゅうごく)ざんりゅうこじ(戦争中(せんそうちゅう)、中国(ちゅうごく)におき去(ざ)りにされた日本人(にほんじん)の子(こ)どもたち)が来(き)たとしても、名(な)のれない人(ひと)、死(し)んだ人(ひと)、名(な)のらない人(ひと)がいる。いくら親子(おやこ)といったって、子(こ)が一生(いっしょう)親(おや)の顔(かお)も知(し)らず、よその国(くに)の人(ひと)として生(い)きて、そして死(し)んでいくことだってあるんだ。

幸福(こうふく)なことだね。これが小説(しょうせつ)だからできたことともいえるよね。おたがいの思(おも)いがかよいあった、というよりは、れいせいにみて、ほんとうにラッキーだったといえるんじゃないかな。

 

14.他(ほか)のせんそうものと読(よ)みくらべる

かならず毎年(まいとし)せんそうものの本(ほん)が出(で)て、同(おな)じようなことをテーマとしてつたえようとす

る。せんそうを語(かた)りつぎ、次(つぎ)の時代(じだい)にのこそうということがその理由(りゆう)。でも、そのなかにせんそうがおもしろかったとか、あのころもけっこう楽(たの)しかった、という人(ひと)はなぜいないんだろう。みんながひさんで打(う)ちひしがれた顔(かお)をして、せんそうの時代(じだい)をすごしたんだろうか、へいたいにもいったんだろうか。

どうもそれではかた手(て)おち。よいせんそう、楽(たの)しいせんそうというのもあるんじゃないの?だったらなぜそれを語(かた)らないんだろう……。

 

この手(て)の本(ほん)は、テーマとしてはよくあるお話(はなし)で、そのままいったら、せんそう反対(はんたい)、平和(へいわ)、人(ひと)のいのちの大切(たいせつ)さ、というようなきまりきった形(かたち)になってしまいがちだね。

それだけに、いろいろな角度(かくど)から、人(ひと)のみないところや、考(かんが)えないところ、そして、みんながタブー(口(くち)にしてはいけないこと)に思(おも)っていることなんかを、とりあげて書(か)いてみるといいと思(おも)うよ。人(ひと)がびっくりするような、とんでもないことを書(か)くのもいいんじゃない。

 

 

 

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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)

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海からとどいたプレゼント

上崎美恵子・作 笠原美子・絵 / 岩崎書店