わかんないんだよなー。いったいボブってなんなんだよ、と思わなかった?
さいごになってから、そうか!となんとなくわかっていく。
これはおもしろい本だ。ふかーい本だ。もう一回読みかえしてみようという気になってしまう。
外国人作家の本。
やはりちょっとちがうよね。てつがく的だよね。
【見えない】
てっきりボブがいると思った。
兄弟。いやちがう。
ペットの犬かネコ。いやちがう。
おてつだいさん。いやちがう。
人形かな。ちがう。
あれあれあれ、と読んでいくあいだに、とつぜん「アッ」とひらめいてしまう。
きみ、ボブってなんだと思う。
「まぼろし」「もうひとりのボク」「だったら友だち」「そうぞうしている」 「きぼう」「思いこみ」……。
ここは考えるといいところだ。
いろいろなケース(場合)を思いつくままに、どんどんあげていったらいい。これはキリがない。キリがないほどいい。
なぜなら、それだけきみが考えていくことができるから。
そう、正しい答えはないよ。きっとね。正しい答えをもとめる、そんな読みかたをこの作者はきたいしていないもの。
ボブってなに?ボブってだれ?それをどんどんあげていって、あげながら考えたことを書いていくということができる。感想文は、どう考えていったか、思っていったかということ、どうやってそう考えたか、どうしてそう思ったかがたいせつなんだ。「けっか」じゃないんだよ。
見えないものを見ようよ。きみのそばにもきみがいる。そして一番親しい、きみにしか見えないかけがえのない友人がいる。それはまぼろしであってもいい。いるというだけで安心する。しあわせな気分になる。
【ひとりぼっち】
この主人公レオンはこどく(・・・)だね。なんとなくさみしさがただよっている。でもけっしてくらーいという感じはしない。
新しい町。新しい家。でもパパはぐんたいへ。ママとふたりのくらしだ。
親しい友人。いつもいっしょにいられて、あそべて、話しあえる友だち。これは人にとってはなくてはならないものなんだろうね。
きみ、どう思う?
きみにもさ、ひとりぼっちでどうしようか、こまった、かなしいよー、という時があったんじゃないかな。そんな時のことを書いてみたらどうだろうか。大好きな友だちとちょっとしたことでケンカ。ひとりで帰ってきた時。家に帰ってなんとなくさみしくなった時。ないた時。あると思う。
それとこの見えないボブ。きっとつながっていくと思う。感想文では自分の「たいけん」を書く。自分のことを書く、っていうことはたいせつなんだよ。
「わたしもにたようなことがあります」「わたしにも今ボブがいます」というふうに書いていくことができるじゃないか。
【手】
手をふった。そしたら手をふりかえした。もうこれでいいんだ。もうひとりじゃない。たったこれだけのことで、さみしさはなくなる。レオンの心はその時からとなりの子にむかっている。
するとホラ。消えてしまった。今までのボブがね。
人は見えている人がやはりいい。ほんとうにことばでかえしてくれる。体もふれあえる。生きているものどうしのつながり。
手だよ。いろんな手をいっぱい出してつながっていくんだ。いままでは思いの中での手ごたえ。
でもそれもきっとたいせつなんだ。ボクらはいつも、人とはなれてからもその人のことを思うものね。
「あくしゅ」ってふしぎだな。とっちゃまんは「手」が気にかかる。
【いなくなった】
となりの家のかいだんを上っていく時に見えないボブは消えた。なぜだろうか。ここだね。ここがこの作品の一番のポイント。
別になぞなぞじゃないけどさ。またしつもんということでもないけどさ。一番の考えどころなんだ。
なんでいなくなったの?きみの考えを聞きたい。
ボブがいなくなったことを感じたレオンは、すわりこんでしまう。
「ボクはひとりぼっちだ」。
この時にきっとレオンはほんとうにひとりぼっちだったんだろうな。それは「かいだん」のとちゅうだ。
【かいだん】
そうだよ。かいだんだよ。これがなにかを示している。行こうかもどろうか。もどればボブはまた出てくるだろうか。このまま行けばとなりの子と親しくなれるだろうか。
レオンの心にはまよいがある。そしてすわっていく。そのままならそのままだ。ほんとうのひとりぼっちになる。
だからかいだんを上るんだ。上ってよびりんを鳴らして、ドアをあけるんだ。そこにボブがいる。
そこからつぎの世界がはじまる。
ボクらはみんなそうだ。きっとみんなそれぞれのかいだんを上っているんだ。とちゅうで消えるものがある。そして出会うものがある。
ここでとっちゃまんはレオンに少しばかりの「ゆう気」を感じてしまった。きみはどうだろうか。
【ボブ】
そうかぁ、となりの子がテレパシーを送っていたんだな、ということではないよ。そういう理解(読みとりかた)もおもしろいが、あのなぁ……、そういうことではなくてさ、ということになる。
このごろは友だちとなかよくなれないとか、つきあいかたがわからない、という人がふえている。ひとりのほうがラクチンという人も多くなった。
いつもボブはいる。きっと作ってしまうんだろうな。そしてそれなりにまんぞくしてしまう。あの『アンネの日記』のアンネだって、「キティへ」と、そうぞうの友人にいつも日記を書いていた。とじこめられた生活の中で作った友人。
なにかにたものを感じるね。
人はいつもなにかをもとめている。いろいろなものがほしいと思う。けれどたぶん、一番もとめているのは「人」じゃないだろうか。
ボブをね。
【もう一度見えない】
といって今までのボブは消えたのだろうか。ノーだね。いるよ。きっと。どこに?それをさがしてみよう。
「今までのボブはどこへ行った」。これはいいテーマになっていくと思う。感想文のどこかでつかってみたらどうだろうか。
星の王子様は「たいせつなものは見えないんだよ」とキツネに教えられたね。ここでもそれは言えそうだ。
友だちができたから消えたんじゃない。ひつようがなくなったんじゃない。見えないボブはいつもそばにいて、そばで見ている。気がつくかどうかだよ。
ま、きみにとってのとっちゃまんみたいなものだよ。
これはいろいろとだいじなことを考えることのできる、ふかい本だと思う。あっさり読んでもいいけれど、きっとなにかがひっかかる。そこが切り口になるよ。
この本からはきっとケッサク感想文が生まれる。「友情」だけだとちょっとあさいかな。
よけいなお世話?ごめんねー。
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※出典:これできみも読書感想文の名人だ(2000年)
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ふしぎなともだち
サイモン・ジェームズ・作 小川仁央・訳 / 評論社