きかんしゃやえもん

科学(かがく)っていうのはとてつもないはやさで進(すす)んでいく。ゆめの超特急(ちょうとっきゅう)といわれた新幹線(しんかんせん)ひかり号(ごう)だって、いまではなんとなくふるくさい感(かん)じがする。はやくリニアモーターカーができないかなって、ボクは思(おも)ってしまうわけだ。そうすると、ひかり号(ごう)だって、きっとやえもんのようになっちゃうんだろうな。

人間(にんげん)だっておなじことが言(い)える。だれだってピカピカの一年生(いちねんせい)だったときがある。そしておとなになって「でんききかんしゃ」のようにバリバリはたらくのだけど、いつか年(とし)をとってくたびれてしまう。

人間(にんげん)のこととしてこの話(はなし)を読(よ)んでみると、いろんなことが見(み)えてきそうだよ。

◎れえる・ばすの、いちろうとはるこのやくわり。主役(しゅやく)だけを見(み)るのではなくて、ほかの登場(とうじょう)人物(じんぶつ)にも目(め)をむけることが大切(たいせつ)だ。れえる・ばすのいちろうとはるこっていうのは、けっこういいかげんなんだよね。やえもんがでんききかんしゃに「びんぼうきしゃ」と言(い)われたときも、いっしょになってわらうし、そうかと思(おも)えば、つぎの日(ひ)にあやまりにきて、わらったのをでんききかんしゃのせいにしたりする。鉄道(てつどう)の人(ひと)たちが、やえもんをおこらせてしまう。はだかの王(おう)さまに出(で)てくる子(こ)どものように思(おも)ったことをしょうじきに口(くち)に出(だ)してしまうと、わるぎもないんだけど、人(ひと)の気(き)もちを考(かんが)えていない所(ところ)があるようだ。いちろうと、はるこのやくわりって何(なん)だろう。

◎マイナスがプラスになる。のりものとして役(やく)に立(た)たなくなったやえもん。でも、その古(ふる)さ(マイナス)が、かえってプラスとなって博物館(はくぶつかん)に行(い)くことになる。こういうことってけっこうある。たとえば、一寸法師(いっすんぼうし)ってのは、背(せ)がひくかったからこそオニをやっつけることができたんだし、すもうとりだって、すもうをしていなかったらただのデブだ。発(はつ)明王(めいおう)エジソンは、あんまりしつこく「なぜ」と聞(き)くものだから、学校(がっこう)をやめさせられたんだけど、「なぜ」と考(かんが)えることで、大発明家(だいはつめいか)になることができた。君(きみ)は、自分(じぶん)のマイナスをどうやってプラスにしていくのか。

◎交通(こうつう)博物館(はくぶつかん)の人(ひと)がいなかったら、やえもんはただのくず鉄(てつ)になっていた。

ということは、この人(ひと)のやくわりってとても大(おお)きいね。ふつうの人(ひと)は古(ふる)びた汽(き)車(しゃ)をただの鉄(てつ)くずとしか見(み)ない。でも、見方(みかた)を変(か)えるだけで、くず鉄(てつ)は、とても価値(かち)のあるものになってしまう。君(きみ)も交通(こうつう)博物館(はくぶつかん)の人(ひと)のような見方(みかた)をして、役(やく)に立(た)たないものや、ムダだと思(おも)われていることに対(たい)して、価値(かち)を見(み)つけてみよう。

あるいはぎゃくに、君(きみ)にとって、交通(こうつう)博物館(はくぶつかん)の人(ひと)のようなやくわりをする人(ひと)は、だれか考(かんが)えてみよう。学校(がっこう)の先生(せんせい)、おとうさんおかあさん、友(とも)だちは、君(きみ)の才能(さいのう)を見(み)つけてくれるだろうか。それとも、ただのくず鉄(てつ)としか見(み)られない人(ひと)だろうか。

 

 

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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ

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きかんしゃやえもん

阿川弘之・作 岡部冬彦・絵 / 岩波書店