いっすんぼうしの個性(こせい)、それは小(ちい)さいということ。でも、そのとくちょうがあったからこそ、京(きょう)の都(みやこ)で大切(たいせつ)にされ、おひめ様(さま)にかわいがられ、オニを追(お)っ払(ぱら)うこともできたんだ。
その個性(こせい)があったからこその、京(きょう)の都(みやこ)での生活(せいかつ)にもかかわらず、あの打(う)ち出(で)のこづちとやらで、かれは急(きゅう)にふつうの大(おお)きさの人間(にんげん)になってしまった。それでは、いったい大(おお)きくなったいっすんぼうしは、今(いま)までのような幸福(こうふく)な生活(せいかつ)を、続(つづ)けていけるんでしょうか。ふと考(かんが)えこんでしまったボクなのです。
つまり、これは大金(おおがね)もちが一夜(いちや)のうちにびんぼうになった。カール・ルイスやベン・ジョンソンが、あっという間(ま)に交通(こうつう)じこで両足(りょうあし)が使(つか)えなくなった。ウルトラマンが小指(こゆび)の大(おお)きさになった。ネコがネズミになった。なんてことと、まったく同(おな)じことになってしまうことなんだよね。
そんなことが、はたして幸(しあわ)せと言(い)えるのだろうか、うまくやっていけるのだろうか。
ふつうの人(ひと)とちがっていることというのは、ひょっとすると大(おお)きなとくちょうと言(い)えるのではないか、そう考(かんが)えたらどうだろう。
人々(ひとびと)が大切(たいせつ)にしてくれるもの、トレードマークが、本人(ほんにん)には欠点(けってん)に思(おも)える、と考(かんが)えてみると、いっすんぼうしの変身(へんしん)は、かならずしも幸(しあわ)せとは言(い)えません。ここには根深(ねぶか)いテーマがひそんでいる気(き)がするよね。
いっすんぽうしは私たち(わたしたち)である。自分(じぶん)もいっすんぼうしだ。というふうに考(かんが)えていくことができれば、深(ふか)いテーマが見(み)えてくるんじゃないかな。
※上記の著作権は宮川俊彦にあります。
※無断での転用・転載を禁じます。
※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)