アリクイにおまかせ

アリクイにおまかせ

竹下文子・文 堀川波・絵 / 小峰書店

 

アリクイの片づけサービ会社というのはおもしろい。そういえば、アリさんマークの引っ越しサービス会社があったね。

この作品を読むと、アリクイは片づけにぴったりだ。そう思える。

ボクには、アリクイには強い印象はなかった。あのとがった鼻、こっけいな体つき、それくらいしか記憶になかった。

でも、この作品を読んで、こんなサービスがあったらいいと思った。

アリクイじゃなくて、バクじゃまずいんだよな、きっと。夢も希望もなくなるだろうからね。

 

☆もしも、片づけなかったら

この作品の「目標」や「願い」はなんだろう。

ただ「自分の部屋は自分で片づけましょうね」と言いたいのなら、もっと口やかましく言ったらいい。でも、そんなのはただのしつけだね。

片づけない人は、大人にもいっぱいいる。「なんで?」とびっくりするくらい片づけない。

子どもだって片づける子は片づける。人に言われなくてもする。

しない子はしない。大人になってもしない。

ママや先生が、片づけができない人だったら、ちょっと困る。そんな人は、人にも「片づけなさい」とは注意しない。そうしたら、ひどいことになるだろうな。

 

ココちゃんは片づけが苦手だ。

それなら、ずっと片づけないでいたら、どうなるのだろうと思う。

一生片づけないでいられるだろうか。どんな部屋になるのだろう。

きみがためしにやってみたらどうだろう。「もしも?」と考えるんだ。

もしも「片づけなさい」とはぜったいに言われなくて、そのままにしていたら、どうなるのだろう。

そうやって実験をしてみたら、この作品の読み方も、また違ってくるだろう。

 

☆極端(きょくたん)だったり、正反対だったり、そんな場面に注目する

「あんまりきたなくしていると、きのこがはえてくるわよ」

おかあさんが、ココちゃんにそう言っている。

むかし、そんなマンガがあった。汚いけれどおもしろかった。キノコの名前はたしか「サルマタケ」と言っていた。作家というのは、似たようなことを考えるものだ。

 

この物語で肝心(かんじん)なのは「片づけない」と正反対の場面を作っているところだ。片づけすぎて、なんにもなくなってしまった。つまり、大切なものまで、片づけてしまったんだ。そして、それを探しにいくことになる。

大切なものってなんだろう。

何がどう大切なのだろう。

モノには、モノそのものだけでなく、そこに思い出がくっついているんだね。しかも、その思い出は自分だけのものだ。

思い出のあるモノを並べておくということは、そこに自分だけの「思い出の記念館」があるということだ。その解説は自分にしかできない。

だから、自分で自分のモノを片づけるというのは、実はたいへんなことだったりする。これもあれも、みんな大切で、とても片づけられなくなる。

 

どうしたら、片づけられるのだろう?それは語られていない。

きみが考えていい。このクライマックスを参考にしながら、君の意見を考えることだ。

この作品は、答えを出さないで、考える余地(よち)を作ってくれている。もっと言えば、この作品は、きみに考えることを要求しているんだ。

 

☆片づけるって「なんのために?」「何をすること?」

ココちゃんが大切なものを思い出すと、それが手の中に飛び込んでくる。

この物語のクライマックスだ。

これは、なにを示していると思う?

 

モノそのものじゃなくて、モノにまつわる思い出が大切なんだ、ということじゃないだろうか。

だから、ココちゃんがみんな思い出したら、モノはみんな返ってくる。しかし、こんどはそれをどう片づけるのかは、わからない。

ここもきみのテーマになる。

 

ココちゃんは一度片づけた。そして大切なものがあることを知った。また散らかる。そして、また片づける。

そのたびに、何が大切かがわかる。そして、大切ではない何かをなくしていく。そういうことなんじゃないかな。

「片づけなさい」「ハーイ」、そんな程度の作品ではない。ママや先生に言われたから「言われたままをする」という話ではないね。

片づけってなんだろう――そこがポイントだ。なんのために、何をすることなの?それを考えるんだ。

これはパパやママに聞いていい。その答えで、パパやママがどこまで考えているかがわかるし、参考にもできる。

きみは片づけをしている?それなら、何を、いつ、どうやって。それを書くことだ。

感想文では、自分を書くんだよ。「ボクは実はココちゃんと同じで……」という書き出しになるだろうね。

 

☆片づけは「なぜ必要なの?」

本当に、ぜんぶきれいに片づけたらどうなるのか。これは以外と大きな問題だ。

ボクは地震の一ケ月後に引っ越しをした。

ぜんぶきれいに片づけようとしたら、本当にスッカラカンになって、あとで大切なものをあれこれと探すことになった。

自分で片づけているうちはまだいい。自分の判断でできる。

でもね、だれかに片づけられてごらん。人によって、大切なものは違うのだから「ええっ、なんで片づけたのよ」ということになる。

 

片づけは、自分の問題だ。自分でやったほうがいい。

ただ「片づけは大切だ」ということだけでは、たぶん読みが浅くなる。なぜ大切なのか、もっと考えないとならない。

きれいなほうが気持ちがいいでしょうということかもしれない。大切なものが、みんな整然(せいぜん)とならんでいると「うふふ」とうれしくなる。そういうことかもしれない。

片づけは、なぜ必要かを考えることだ。この作品はそんなしかけを持っている。

 

アリクイの絵がかわいい。このままキャラクターになりそうだ。ところで君は片づけをだれかにまかせるかな。

そこを聞いてみたい。この本の基本テーマでもあるよ。

 

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※出典:読書感想文書き方ドリル2001(2011年)