赤(あか)いさかなたちのなかで、一ぴきだけ黒(くろ)い色(いろ)をしたスイミー。ある日(ひ)、なかまはみんな、まぐろに食(た)べられてしまい、スイミーはたったひとりの旅(たび)にでる。
◎「みたこともないさかなたち、みえないいとでひっぱられている……」いとというのは、ひっぱる、つなぐ、くくる、むすぶ、つるす、もつれる……というやくわりをもっている。つまり、「つながり」をあらわすことばだ。君(きみ)には、どのようないとがあるだろう。おとうさん、おかあさん、きょうだい、近所(きんじょ)の人(ひと)、友(とも)だち、学校(がっこう)の先生(せんせい)、あるいは、アメリカやアフリカの人たち、一度(いちど)も会(あ)ったことのない人(ひと)とだって、かならず、目(め)に見(み)えないいとはある。
◎「~みたいな」ということばがたくさんでてくる。たとえば、「ももいろのやしきみたいないそぎんちゃく」「ドロップみたいないわからはえてる、こんぶやわかめのはやし」。これが、ただ、「いそぎんちゃく」「いわからはえてるこんぶやわかめ」という文章(ぶんしょう)だったとしたら、どうだろう。
◎大(おお)きなさかなに食(た)べられることをこわがる赤(あか)いさかなのなかまに「みんな、いっしょにおよぐんだ。うみでいちばんおおきなさかなのふりして!」と
スイミーは言(い)う。よわいものが生(い)きていくためには、群(む)れを作(つく)るしかないのだろうか。ライオンや、クジラ、ネズミ、犬(いぬ)、ネコ、そして人間(にんげん)の社会(しゃかい)というものについて、考(かんが)えてみよう。
さかなたちが、一ぴきの大(おお)きなさかなのふりをするということは、あるいみでは、スイミーのいいなりになるということにはならないだろうか。一ぴき一ぴきの赤(あか)いさかなたちの考(かんが)えや思(おも)いというものを、生(い)かすことができるだろうか。あるいは、もし、スイミーがまちがった考(かんが)えをもったとしたら、それに対(たい)して「やめたほうがいい」といえるさかながいるだろうか。また、大(おお)きなさかなの一部(いちぶ)になったような赤(あか)いさかなたちが、どうやってスイミーのめいれいが、正(ただ)しいかどうかを、はんだんすることができるのだろうか。
◎もち場(ば)をまもること。集団(しゅうだん)のなかでは、かならず、それぞれのもち場(ば)というものがある。クラスでも、家(いえ)でも、会社(かいしゃ)でもそうだ。たとえば・君(きみ)は、クラスでどのようなもち場(ば)にいるだろうか。先生(せんせい)や、クラス委員長(いいんちょう)はどうだろう。また、もくてきによってももち場(ば)はかわってくるよね。勉強(べんきょう)のとき、遠足(えんそく)のとき、休(やす)み時間(じかん)にあそぶとき、ケンカをするときなど、目的(もくてき)におうじてリーダーになったり、やたらめだとうとしたり、ぎゃくに、急(きゅう)におとなしくなってしまったりと、もち場(ば)はかわっていくものだ。
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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ
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スイミー
レオ=レオニ・作・絵 谷川俊太郎・訳 / 好学社