知ってればよかったね、北風くん

イソップどうわの「北風(きたかぜ)と太陽(たいよう)」。

とっても有名(ゆうめい)なお話(はなし)だよね。旅人(たびびと)の服(ふく)をぬがせようとして、北風(きたかぜ)と太陽(たいよう)がきょうそうするというものだ。

では、なぜ北風(きたかぜ)はこのきょうそうで太陽(たいよう)に負(ま)けちやったんだろう。

「太陽(たいよう)があたたかかったから」

フムフム。ほかにないかな?

「北風(きたかぜ)がビュービューふいて、旅人(たびびと)は服(ふく)をおさえてしまったから」

ウーム(と考(かんが)えこむボクなのであります)。これだけではよくわからないよ。

ふつうの人(ひと)がこの本を読(よ)んで考(かんが)えるのは、これだけかもしれない。君(きみ)のおかあさんも、学校(がっこう)の先生(せんせい)も、中学生(ちゅうがくせい)のおねえちゃんもね。

でも君(きみ)はちがうんだナ。この本を手(て)にとって読(よ)みはじめたときから、君(きみ)はもうふつうの人(ひと)ではなくなっちゃったんだからね。

前(まえ)のところで話(はな)したように、まず北風(きたかぜ)と太陽(たいよう)のちがいを考(かんが)えてみよう。

北風(きたかぜ)の力(ちから)ってなんだい?

「寒(さむ)くする」

「たつまきをおこす」

「雪(ゆき)やひょうをふらせる」

「ピュウと音(おと)を出(だ)す」

「風(かぜ)のいきおいで物(もの)をはこぶ」

そうそう、いっぱいいっぱい力(ちから)をもっているね。では太陽(たいよう)はどうだい?

「明(あか)るくする」

「あたたかくする」

「あつくする」

「水(みず)をじょうはつさせる」

「日(ひ)でりにする」

「植物(しょくぶつ)をころす」

そうだね。北風(きたかぜ)も太陽(たいよう)も、どちらもいいところ、わるいところをもってるね。服(ふく)ぬがせ勝負(しょうぶ)に勝(か)った太陽(たいよう)だけが、いいヤツっていうわけじゃないんだナ、これが。

たとえば、山田(やまだ)太陽(たいよう)くんと田中(たなか)北風(きたかぜ)くんのちがいっていうように考(かんが)えてみてもいいんだよ。

田(た)中北風(なかきたかぜ)くんは、自分(じぶん)の力(ちから)をどう生(い)かせばいいかしらなかったんだね、きっと。君(きみ)もそうかもしれないし、君(きみ)のすきなプロ野球(やきゅう)選手(せんしゅ)もそうかもしれない。力(ちから)はあるんだ、だけどそのつかい方(かた)がわからない。だから負(ま)けてしまう。

もしも北風(きたかぜ)が力(ちから)のつかい方(かた)を知(し)っていたら、どうしただろう。ただ旅人(たびびと)に、風(かぜ)をふきつけるというような、たんじゅんなことはしなかったんじゃないかな。

ボクの教室(きょうしつ)に来(き)ているある小学(しょうがく)二年生(にねんせい)は、こんなことを言(い)ってるゾ。

「旅人(たびびと)のうしろから、ものすごい風(かぜ)をふきつけて、その風(かぜ)に乗(の)ってハワイの海岸(かいがん)までつれていってやればいい」

ホホー、ナルポド。小学(しょうがく)三年生(さんねんせい)の男(おとこ)の子(こ)はもっとおもしろい。

「旅人(たびびと)を風(かぜ)でおして、ドブ川(がわ)のなかでビチャビチャにしちゃう。それから、パリのブティックからカッコイイ服(ふく)を風(かぜ)に乗(の)せてはこんできて、旅人(たびびと)の目(め)のまえにおく。そうすれば、旅人(たびびと)は服(ふく)を着(き)がえるよ」

どうだい。なかなかのアイデアだろ。

つまり、頭(あたま)のつかいかたひとつなんだナ。しかも、北風(きたかぜ)は太陽(たいよう)よりもさきにやれた・ということは北風(きたかぜ)が旅人(たびびと)の服(ふく)をぬがせてしまえば、それで北風(きたかぜ)の勝(か)ちということになったんだ。

それなのに、北風(きたかぜ)は、この大きなチャンスをのがしてしまった。自分(じぶん)の力(ちから)を生(い)かす方法(ほうほう)さえ知(し)っていれば勝(か)てたのに……。

そんなところまで君(きみ)が読(よ)みとって、

「ボクは学校(がっこう)でこんなことがあって、それは北風(きたかぜ)といっしょで……」

というぐあいに、自分(じぶん)ののみぢかなできごととむすびつけることができれば、ホラ、君(きみ)の読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)はもう九九パーセントはできあがったようなものなんだナー。

 

 

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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ パート2(1・2・3年向)(1990年)