イソップの、アリとキリギリスのお話(はなし)。これはとても有名(ゆうめい)などう話(はなし)だから、みんなもよく知(し)ってるよね。
もともと読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)っていうのを考(かんが)えてみると、このイソップ物語(ものがたり)や昔話(むかしばなし)のように、作者(さくしゃ)の考(かんが)えがよくわかるもののほうが、書(か)きやすいんだ。
だからといって、アリのようにコツコツまじめにはたらいて、先(さき)のことを考(かんが)えているのはとってもかしこい……。そんなだれでも書(か)いていることを、あらためて書(か)いていちゃダメだ。他人(たにん)と同(おな)じことではなく、どれだけちがうことを書(か)くか、読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)ではそれが大切(たいせつ)。
もちろん、テストの場合(ばあい)は話(はなし)がちがう。テストでは答(こた)えはひとつしかないよね。それ以外(いがい)はみーんなハズレ。
でも表現(ひょうげん)の世界(せかい)で、みんながひとつになったら、それはとんでもないことになってしまいますよ。もしも、同(おな)じないようの作文(さくぶん)がいっぱい出(で)てきたとしたら、それはきっとまちがいなんだ、と思(おも)うべきだよね。
なぜなら、花(か)ビンのかき方(かた)で話(はなし)した、いろいろな見方(みかた)っていうのができれば、少(すく)なくとも、花(か)ビンだけでも一〇〇や二〇〇の見方(みかた)が出(で)てくるワケ。同(おな)じ作文(さくぶん)が出(で)てくるはずがないじゃないかい?
さて、もしコツコツどりょくするアリが、冬(ふゆ)のおとずれの前(まえ)に死(し)んでしまったら……、これがそうぞう。そう〝もしもの世界〟なんですネ。
そう考(かんが)えてみると、生(い)きている間(あいだ)は、じっとガマンして苦労(くろう)して、はたらいてはたらいてはたらきまくっているだけで、そのめぐみを受(う)けることはないことになるだろう。冬(ふゆ)をむかえる前(まえ)に、アリとキリギリスが死(し)ぬのなら、アリがいいとばかりも言(い)ってはいられないハズ。なーんだ、そんなことなら、キリギリスのほうがいいなあって気(き)もしてくる。
ここが考(かんが)えどころ。つまりアリとキリギリスは、つぎのようにいくつかのテーマをもっているんだ。
① コツコツとどりょくするのと遊(あそ)びほーけてるのは、どちらが大切(たいせつ)なことなのか。
② 先(さき)のことを考(かんが)えてじゅんぴすることと、その時(とき)その時(とき)でうまくやること。
③ 冬(ふゆ)が来(く)る前(まえ)に死(し)んでしまったアリ。それでもいいのか。
④ はたらくことと遊(あそ)ぶことはどうちがうのか。
⑤ キリギリスがきれいな声(こえ)で歌(うた)うというのは、げいのう人(じん)と同(おな)じように仕事(しごと) なんじやないのか。
⑥ 人(ひと)は何(なん)のためにはたらくのか。
⑦ ガマンとはどういうことを言(い)うのか。
⑧ アリとキリギリスのかちかん(自分(じぶん)が大切(たいせつ)だと思っていること)のちがい。
ホラね。いろいろとテーマが見(み)つかってくるだろ。これは花(か)ビンと同(おな)じように、さまざまな見方(みかた)から、考(かんが)えが出(で)てくるものなんだよ。
この中(なか)のいずれか、あるいは他(ほか)のテーマでもいいんだけど、それを考(かんが)えながら自分(じぶん)の考(かんが)えを書(か)いていけば、おそらくめったに見(み)ることのできない、アリとキリギリスの読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)が、ハイできあがり!
つまり大事(だいじ)なことは、すべてのお話(はなし)は、動物(どうぶつ)や虫(むし)たちが主人(しゅじん)公(こう)だけど、人間(にんげん)をテーマにしているということ。だから、こんなとき人間(にんげん)はどうすればいいのか、あるいはこんな人間(にんげん)もいるんだ、ということを、さいごのテーマにしていくしかないんだよね。人間(にんげん)の表現(ひょうげん)することはすべてそうなんだ。そこからにげることは決(けっ)してできないということを、頭(あたま)においといてほしい。
ある小学(しょうがく)四年生(よねんせい)の子(こ)は、そこまで考えて、
「だから、アリとキリギリスを考(かんが)えてみると、アリギリスがいい」
と書(か)いたんだ。この子(こ)は深(ふか)いところまでよーく考(かんが)えているよね。だから、この「アリギリスがいい」っていう意見(いけん)も、とてもスバラシイと思うな。
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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)