原稿用紙のおり

正解なんてきっとひとつじゃない。自分で考えたことのすべてが正解なんだ。

けれど、学校とか塾とかでは、ひとつにしろということになる。

これではいつまでたっても本当に考えていくという力はついていかない。

みんなが今変えようとしている。でも時間がかかるね。だから君は今から本当に、自分なりに考えを深めて、自分のその時の意見を語っていくということを身につけておいてほしいと思う。

とくに読書とか、読解、感想文という名の意見文、についてはそれがもっとも求められている。

正しい感想文なんていうものもないし、このお話はこう読んでいけばいい、なんていうこともない。当然だよね。そこまではおりに入っていない。

去年の本でも、かんじんなことはいくつか言っているから、今回は言わない。

自分が考えていくことをおりにいれてはいけないよ。これを言ってはいけない。これを考えてはいけない。これを書くと先生にしかられる。そういったことがあると自由な意見は、はじめからとざされていってしまう。そして冷蔵庫の中で冷えていってしまう。

もったいないな。ましてやテンマル、正しい文、正しい漢字、正しい進め方、なんていうことを気にしているうちは、ぜんぜん書いていくことはできない。

そんなことを一度とっばらってしまったらどうだろうか。

そういう中から本当の考える自分、追求していく自分が生まれていくよ。

そこだよ。

そして仕上がったものを、今度は学校用とか、なんとか用に作り変えていけばいいじゃない。

読む相手のレベルというものがある。

しょせん、言いたいことを書いて、わかってくれない相手はそれだけのものだとしっかり知っておくといい。

もちろんそこをどうするかは君の生き方にもかかわってくる。

自分で結論をだしていくんだね。

原稿用紙を見てごらん。マス目があるだろう。なんのためか知ってる?

いんさつや出版していくときに便利だからだよ。別に君達を規制していくためのものじゃない。規則というものもあるようでない。

これを必要以上に気にしていく人は、そこにとらわれていってしまう。気にしていくところにおりは出現していく。そんな風に考えてみたらどうだろう。

これは何事についてもいえることだけどね。

 

 

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※出典:ザ・読書感想文‘96(高学年向け)