アストリッド・リンドグレーン・作 イロン・ヴィークランド・絵
大塚勇三・訳 / 岩波書店
「わたし」の名前は、リーサ。女の子。いま七つ。七つって大きいのかしら小さいのかしら?
お母さんは「もう大きいんだから、皿あらいを手伝ってくれるわね。」って言うし、兄さんたちは「おまえ、小さすぎるのさ。」って言うし。
わたしたちの住んでいる家は中屋敷って名。北屋敷(男の子が一人いる)、南屋敷(女の子が二人いる)の中間にあるから。やかまし村にはこの三軒、たった三軒の家しかないんです!
それなのに「やかまし村」なんてよばれるそのわけは……。
◎とっちゃまんのここに注目!
「どこかでこういう感じの話を読んだ覚えがあるな」と思ったら、この物語、『長くつ下のピッピ』の作者が書いてるんだ。なるほど、なっとく。
子どもたち一人一人が、生き生きしている。きらきらかがやいてる。みんな、しっかり生きているって感じだよ。そこがとってもいいんだなあ。
・遊ぶことは生きること
遊びの世界のことがたくさん書いてある。一人遊びはあまりなくて、いつも何人かの子がいるね。村の子全員なら六人だ。
ボクらのまわりでは、一人遊びがふえたね。この村の子たちのような、わいわいしたふんいき、まだあるかな?このあたり、きみやきみのまわりのことをちゃんとレポートしてほしい。
このストーリーを読むと……。まず遊びがあって、遊びが勉強になり、生きることになり、それら生きること全部を通して、大人たちともかかわるようになっている。ほし草置き場でねてみて、ベッドのありがたさがわかったり、雪の中をどんどん進んでいったり(お父さんの除雪機が来たときは、ほっとしたよね)。
ふと思った。遊ぶって、生きることだって。毎日の楽しさ。人とかかわることの楽しさ、大切さ。「これが自然なんだ!」と思えてくる。
・めだかの世界、そして、動物の世界
ボクは、この本を読みながら、なんとなく、「めだかの学校」を思い出したよ。動物モノのあったかいストーリーに通じるところもあるような気がした。
家はたった三軒、子どもは全部合わせて六人、そんな小さな村だけど、できごとや人の気持ちに、村の小ささ、大きさは関係ない。この村で起こっていることは、世界中で起こっていることかもしれないね。
・さて、ポイントは?
この本と「ピッピ」の世界をつなげたり、くらべたりして読んでもいいね。共通しているものがあると思う。
それから、六人の子どもたちのすがたや行動から、きみが何をつかむかということだね。心に残ったエピソードを拾うとか、意見を書けそうな文を拾うとか。「おじいさん」のキャラクターもよかったな。
遊びについて書いてもいいし、勉強について書いてもいい。きみのうでの見せどころだ。
ところで、作者のアストリッド・リンドグレーンは、二〇〇二年になくなってしまったんだ。ううん、残念。だけど、ボクたちに「ピッピ」をはじめ、『名探偵カッレくん』『ロッタちゃんのひっこし』など、すてきな作品をいっぱい残してくれてる。ぜひ読んでみてほしいな。そうだ、『やかまし村の子どもたち』は、映画にもなっているんだよ。
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※出典:読書感想文おたすけブック