ぼくがきょうりゅうだったとき

ぼくがきょうりゅうだったとき

まつおかたつひで作  ポプラ社

 

相変わらず恐竜はブームらしい。好きな子はよく名前も生態も知っている。あの巨体でこの地上を闊歩していたと想像すると胸にチクリと来るものがある。
多くは滅びたということ。その後に人類の時代が到来したということ。
歴史のひとコマというにはもったいない思いがする。

あの巨体の恐竜たちがこの地上を闊歩し、その時代が億年にわたって繁栄を謳歌していたということは実に興味深いし、また少なからず僕たちの生命の先行系として独特な考えがある。その恐竜が絶滅したことが隕石衝突説などと言われているけれど、どうも天邪鬼なボクはそうは思えなくて、もっともっと進化して別な宇宙や別な次元で未だに知的になったまま生存しているのではないかと思えたりする。恐竜から鳥に進化したと言われるけれどそういう進化のドラマも醍醐味はあって面白いが、どうもそれだけでは満足できないでいる。だからこんなストーリーがあっていいなといつも思う。すぐ隣のちょっとした時空のトンネルをくぐったら、そこには反映する恐竜の王国が厳然としているような、そんな気持ちがする。常に時間が、この時代の次がこの時代というように作られているものでなく、ひょっとしたらそれぞれがそれぞれの系統をもって混在をしているのではないかと思えたりする。だから多元宇宙という考え方はまだボクの中では納得できそうな気がしている。
この本はいわばそれをベースにした冒険活劇のような種類にある。楽しい本だから、わくわくしながら気楽に読みふけってこの想像の世界に雄飛していくといいと思う。夢物語などというものは実際は存在するのではなく、いつも考える世界の果てには無限にそれが広がっているのだと思っていいのではないだろうか。
隣の世界、隣の宇宙、この構想は昔から作家たちが好んで使ってきたことだ。そこには今の普通で当たり前で退屈な日常をそんなことないんだよ、ちょっと見るものを変えたり見方を変えたり、気がつけばすぐ隣に別の世界が広がっているのだよということを囁きかけて行こうとする作家たちの願いがあるのかもしれない。そんな話を見つけてごらん。日本の民話の中にもおむすびころりんやかぐや姫や同じような話はいくらでもある。むしろそういう多元宇宙などの一つに自分たちがいるのだと思った方が日常そのものが楽しくなってこないだろうか。君もまた今隣の部屋を開けたり、学校で隣の教室に入って行こうとしたら、そこには全く違う世界が広がっているのかもしれないよ。

 

<続きは「とっちゃまんの読書感想文書き方ドリル2012」で>