この作者って、なんでこんなにするどくて、すてきな言葉を生んでいくん だろう。感性にドキドキしてしまった。この作者いいねぇ。もっとほかの本も読んでみたくなった。
ただの自然保護モノじゃない。わざとらしさがない。りくつではない、人の心の本当のところにうったえて、物語の世界を作っているよね。
これはいい作品。作者のセンスをいっぱい学ぶといいよ。
【おじいさん】
カッペイのじいちゃんの最後の授業、っていうのはジーンとくるね。「ボクが殺したようなもの」と言うカッペイへの、例のおじいさんの言葉。「きみに感謝している」と言う。すばらしいね。人の悲しさやわだかまりをすっと取り払っていく。この時にカッペイは確実に「脱皮」しているよね。
年をとって亡くなって(死んで)いく人たち。この癌のおじいさんもそうだね。
父親ともちがう。枯れ木のようでいて、しかしなにか強いものを持っている。
とくにこのおじいさんは、語る言葉がいいね。深いところでものごとを考えてきた人のように思う。
きみにもおじいさんはいる?元気に暮らしているかな?
比べて考えてみていいよ。もうすぐ人生を終える人たちの貴重な言葉。思い出。これはきちんと受けとめておきたいね。
そのへんも切り口になる。
【ザリガニ】
これはたしかに中心の素材。ことの起こりも最後もこれだもの。
大きいザリガニ=帝王。見てみたいなぁ。もともと日本にはいなかったんだ。ここ百年くらいの間に日本中に広がった。すごいはんしょく力だよね。
ザリガニつりなんてよくやっているボクの友だちがいた。つかまえて、そして見せびらかして、そしてにがす。理由はかんたん。飼うのがめんどうだって。だったらつかまえなくてもいいよね。
ところが、友だちはこう言った。「だってつかまえたいんだもん……」
ボクはシノブとカッペイの二人もにたようなものだと思った。行けば見られるんなら、家の水そうで飼わなくてもいいのに。同じじゃないかな。
地球が水そうと思えばいいんだもん。
「帝王」とおじいさん。「妖精」たちとこの二人。うまく重ねているよね。
生命力があって、元気で、妖精だったり、帝王だったり。「脱皮」するたびに「成長」していくようすは人そのもの。
この二人をどうしておじいさんが気に入ったかわかるかな。それがわかるとこの本は一気に読解できる。
取って行った「帝王」を返す。柵にはさまった女の子を助ける。カッペイの心。この子たちの「そっちょくさ」は、ぜったいカギだ。
この二人の「みりょく」を見つけて、きみの意見を語ってみようよ。いい文が生まれるよ。
【妖精・ふしあな】
ほしいと思うものは見つからなくて、ちょっと見れば子どものザリガニが いっぱいそこにいる。
そんなもんだよね。青い鳥をさがすチルチルミチルもそうだ。
「子どもたちの目はふしあな」という言葉もグサッとくる。でき上がった ものもいいけれど、これから成長していくものにもおもしろさがあるという こと。
ほしいものは自分の足もとにあるんだということ。このあたりがこの言葉の意味かもしれない。
ものの見方の大切さだよね。注意深く、そして自由に。そうすると気づくものがある。決めつけちゃいけないんだよ、きっと。
【ホスピス】
この話も「死」が深く関係している。人は必ず死ぬ。だから……、という ことだ。
このおじいさんはもうすぐ死ぬ。そんな人たちばかりが入っているのがホスピス。終末医療なんて言われている。
ねぇ。このおじいさんの本当の病院はどこだろう。その池だったかもしれ ない。本当の医者はこの二人かもしれない。
老人を老人ホームで暮らさせるのは、なんかさみしさを感じさせる。それ よりも多くの人やモノに囲まれて暮らしていきたい、というもののように思う。
人はどんな最期(死にぎわ)を迎えるのか。その時、生き方に決着がつく。
これをポイントにしていくといいよ。
【脱皮】
これはザリガニだけのことじゃない。人もそう。この二人もそう。亡くなったおじいちゃんたちもそう。
脱ぐもの。それは服でもある。とすれば毎日ボクらは「脱皮」している。 身にまとっているものを脱ぎ捨てながら人は「成長」していく。
まとっているものは、考えや気持ちなんかもそうだ。見えないものをボク らは着こんでいる。裸の王様みたいにね。見えない服っていうのは大切なとらえ方。
この二人は、「妖精ザリガニ」と同じように、「脱皮」している。さてさてなにを脱ぎ捨てているだろうか。見つけてごらんよ。
【同盟】
「なかよし」とか、「なかま」というのはわかる。
「同盟」っていうのは、言葉としてあるけれど、なじみが少なくなった。今の時代は「同盟」が成り立たない社会になっているのかもしれない。
子どもと老人というのは、言ってみれば人生の入口と出口。これが心を通わせ「盟約」を結び、「盟友」になっていく。
同じ志や目的が結びつける関係というのは、人を強くしていく。
目的のないつながりはだらだらしやすい。親友も大切だけど、「盟友」と いうのを作っていくのもいいことだ、と思ってしまった。
この三人。「なつかしい男のにおい」がする。弱くなったこのごろの男ではなく、昔そのへんにいっぱいいたような。
おじいさんにあとのことをたのまれ、まかされているね。見にきてやって。確認して。願いを預けていく。預けあう。これは人の心の内側にルールを作る。「約束」ができる。信じあえるよね。きみの今の友だち関係と比べてみよう。
いいなぁ、と思うところはないだろうか。それを見つけたらいいと思う。
読み取ってごらん。
昔、「同盟休講」というのがあった。生徒がみんなで「盟約」を結び、とつぜん全員で学校を休む。集団登校拒否っていうのがあった。結束が固かったのかもしれない。
今は、いいかどうかは別としても、自己中心(自分中心)になってきているよね。そんなことより勉強とかさ。
人間が軽くなっているように思う。どう思うかな。
【心がのぞむ道】
残された手紙を読むとジーンとしてしまう。
心の命ずるままに。心がのぞむ道。
これはむずかしいことだね。なんでも好き勝手に、という意味じゃない。 思うままにということでもない。
この二人だから、それでいい、ということになる。
おじいさんに、このごろでもこんな子がいるのか、と言わせた二人だ。
では、「こんな」とは「どんな」だろう。ここをはっきりさせなきゃなら ない。おじいさんはこの二人に感心した。そして心を通わせる友になっていく。
いったいどこが気に入ったのだろう。
ここにメスをいれてみよう。核心になるところだよ。
【確認しあう】
おじいさんは「帝王ザリガニ」を見ては安心し、無事を確認しあう。ザリガニは生きていくための支えとか、自分の姿を映す鏡のようなものになっているのかもしれない。
そしてこの二人とおじいさんもそんな関係になっていく。おたがい確認し あっていくんだ。
「帝王」が生きている。おじいさんは生きている。それは生きていることを確認することだろう。おたがいに認めあうことだろう。そこは一つの切り口になる。
【わがまま】
帝王ザリガニを取って行かないでほしい、とおじいさんは言った。自分で、これは「わがまま」だと言った。
しかしその「わがまま」は二人を感動させている。
これって「わがまま」かな。そのへんを切りこんでいくと一つの意見が生まれてきそうだ。
「いいわがまま」と「悪いわがまま」というのはあるだろうか。
「わがままがいけない」と言われるのはなぜか。そんなことも考えていくとおもしろい。
当たり前のことをうたがうところに、考える第一歩があるんだよ。
この話は三人の交流が中心だ。
それぞれの立場や考えを整理してみるといい。ところどころにあるおじい さんの言葉。これは深いね。納得できるね。言葉も生き方も「授業」になっている。
人は人から学ぶ。おじいさんも二人から学んでいるものね。
読みごたえじゅうぶん。この本も真正面から取り組んでいい。
生きることや生き方が中心になっている。『ヨースケくん』の本とセットにして考えていくのもいいいだろうな。
「人が生きることの基本問題」を考えることが求められている時代だ。それに答えられる本だよ。
作者の一つ一つの表現や感性に拍手を送りたいな。
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※出典:これできみも読書感想文の名人だ(1999年)
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ザリガニ同盟
今村葦子・作 山野辺進・絵 / 学習研究社