とっちゃまんは長く「感想文は意見だよ」と言ってきた。感想というのはあいまいだから、意見と考えようとね。これは基本、忘れるなよ。しかしな、そろそろ一歩前進だ。
「感想文は批評だ」。これを今回はきちんとわかってもらおうと思う。その方が書くべきことはしぼられるし、視点もはっきりする。
「批評なんてさ、評論家がするものジャン」などと引いてはいけない。批評はだれにでもできる。今まで「感想」とか「意見」しか求められなかったことの方が不思議だ。
もう、小学生作家も生まれている。ボクが顧問をしている「12歳の文学賞」でも、大人顔負けの優れた作家の卵がいっぱいいる。次は小学生から、批評家や評論家がどんどん現れていい。ボクの国語作文教育研究所の現場では、生徒全員がその資質を見せている。
小さいワクにおしこめることはないんだよ。「らしさ」は意識しなくていいさ。意識しなくても「らしさ」は出てくるものだからね。
「本を読んで思ったことを書く」というおおざっぱなことではつまらない。形があるわけじゃないもの。本当は自由さ。だれも制約なんてしない。
☆観点を持って分析しよう
ならば、本当に本を「読む」ことをしたかということが問われる。いいか。ここ大切だぞ。ただ読み方があるということでもない。
最近、多くの人は「好き/きらい」とか「かんたん/難しい」とかで本を選んでいる。それしか言わない人(子どもだけじゃなく大人も)も増えている。自分らしさをカン違いしているんだね。
そこに作品がある。その筋だけ読むのはだれでもできる。いろんな観点を持って読むのさ。これはなぜかな。なぜこういう作りかな。この言葉は……、この場面は……、この人は……、こうして分析していくんだ。ただ筋を読んで、想像して読み終えた感想とは、ちがった面が見えてくる。
作家はね、思ったままを作品にはしないよ。「見せよう」「作ろう」「引き込もう」としているよ。そこにはまって、堪能して、しかし次にはスッと引くんだ。そして冷静に“まないた”にのせてみる。
五十円玉や音楽室の不思議のように、君にだって必ず、切り口も、構造も、骨格も見えてくる。作者の言いたいことを見つけるだけじゃない。君がその作品を「君の見方」で評価するんだ。
批評は批判でも、否定でも、悪口でもない。きちんと評価していくことさ。君の知性と感性でね。そんな感想文、書いてきたかな?マスターしようぜ。感想文がランクアップするだけでなく、読解力がモリモリついていくよ。
今年の課題図書を参考にしながら、実際やってみようじゃないか、な。
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※出典:読書感想文書き方ブック(2009年)