【カモメがおそう島】
そうかぁ。そういうことがあったのか。「訳者あとがき」にもあるけれど、あの南太平洋にうかぶイースター島のことだって思ったかな。だれがなんのために作ったのかが、いまだに解き明かされない不思議なモアイ像。
あの巨大石像について、世界中のみんながいろんなことを語っている。
この作者も言ってるね。想像していいんだよ、って。この本は実話じゃない。作者がえがいた想像の話。
そういえば、手塚治虫のマンガ『三つ目がとおる』だったかな。そこにもこの島のことが書いてあった。それもおもしろかった。
いいなぁ。きみもチャレンジしてごらんよ。「お話書きかえ作戦」もけっこういいかもしれないよ。そうだ、この島に旅行に行けばいいのに。夏休み。「どこかに連れてってぇプロジェクト」に組みこんでもいいかもしれないよ。
行ってみたいなぁ。ここにトウ・エマがいたんだ、なんて想像が広がるよ。
【しっと】
男たちの「しっと」というのは、けっこうたいへんなんだよね。この話でもトウ・エマの悲劇というのは、ほかの男たちの「しっと」によって起こっている。
いつも勝つ、ヒーロー。
最初はいいさ。でも、ずっとそういう姿を見せつけられると自分がみじめになる。それで相手をにくむようになる。そして、いなければいいのに、と思うようになる。
昔もあった。今もある。
「私のクラスにもトウ・エマがいます」。そんな文が生まれてもいい。ずばぬけているというのは、本当はその社会にとってはいいことなのに、どうも多くの人はそれをきらう。
なによ、自分ばっかり。
それが競い合いになっていく。健康的なライバルになっていけばいいけれど、相手がすごすぎるとそうはいかない。
こんなことについての思い。あるいは、「しっと」の気持ちが生まれたらどうすればいいのか。すごすぎる相手の場合はどう考えればいいのか。これは考えていいテーマだね。
コントゥアクに焦点を当ててみるといい。主人公よりも、わき役、かたき役のほうが、多くのテーマをかかえていることが多い。
【リベンジ】
流行語を使ってしまった。この主人公の「復讐(ふくしゅう)」。その復讐心がカモメを動かしていく。そして心がおだやかになったあとも、カモメは忘れないで島をおそう。
リーダーとしての自覚、責任。しっかりやっていたけれど、いんぼうにつぶされる。これはだれの責任か。
復讐をしてなんになるか。なぜ復讐するのか。
しかもカモメを使って。
『赤穂浪士(あこうろうし)』も復讐した。巨人(きょじん)の上原(うえはら)投手、西武(せいぶ)の松坂(まつざか)投手もリベンジと言った。逆しゅうではない。復讐。最近の世の中でも、相手にされなかったと言って復讐した、ストーカーによるいやな事件が起きている。
ウーム……。そう考えるとどうも疑問になってしまうこどば。主人公トウ・エマのとった行動を、きみはどう思うだろうか。
それでも帰ってきた彼は、罪の意識をもち続け、島の仲間のために太鼓を打ち続ける。これも考えていい素材だなぁ。
もちろん広げて考えていい。
【カモメ】
カモメにとってはいいめいわくだったかな。
カモメにリーダーだと考えられたトウ・エマ。カモメたちをその気にさせたトウ・エマは、元にもどって、今度は防ぎょに回る。本当なら、そりゃあないだろう、ってカモメは思ってもいいだろうね。
人の心は変わる。やり直すこともできる。しかし、一つの行動パターンや考え方を教えこまれてしまった、あるいは動くようにされてしまった生き物たちは、悲劇を引きずっていくこともある。忠犬ハチ公の話を思い出す。
「カモメたちの考えはとても素朴で、ただ、自分たちのリーダーだと思いこんで」ってあったね。
このカモメたちの姿は、何かに置きかえられると考えられないかな。
たとえば、純朴(じゅんぼく)な島民の一つなのかもしれない。パスクア島の島民と比べてみてもいい。
優れたリーダーをむかえて戦う部隊になった。しかしリーダーは元の島に帰った。自分たちのリーダーではなくなった。今度は味方から敵になったよね。
こうなった時、カモメはどう考えているか。「もしもカモメだったら……」。これは絶対に探求していいと思う。
そうすると、主人公のもつ「こわさ」や「いい加減さ」も見えてくるように思う。
【文】
この作者の表現はとてもいいね。うーん、訳者がいいのかな。とってもすてきなものの見方、とらえ方をする。「太陽が命じて、地球が静かにしたがったかのように」とかさ。いいよね。こんなところが、あちこちにある。
この表現いいなぁ、と思うところを取り出してごらん。それも立派な感想文の材料になる。
その優れた表現やことばが、人の心や場面やいきさつを暗示するんだよね。
こんな会話をしてみたいというところもある。「きみの髪の上に平和をまねこう」。言ってみたいなぁ。でもさ「キザ」と言われそうな気もする。こんな会話ができていた時って、人の心も大きかったのかもしれない。
パスクア島の人々のことばの一つ一つ、そして、みょうな素直さが印象に残るよね。
【キンテア・ニ】
主人公の婚約者。この人はトウ・エマをずっと待ち続けたね。そしてみんなの誤解を信じなかった。そのために孤立もした。
でもつらぬいた。最後には、カモメはこの人だけをおそわないという場面を作る。
大切な役をしているように思う。いつのまにかこの人が主人公にとってかわっているんだよね。
「愛」と言ってしまえばそれまでだけど、その根本には「信じること」があったと思う。なぜ、こういうふうにつらぬくことができるんだろうか。
キンテア・二によってトウ・エマは救われているね。
人は人によって救われる。人にとっての、平和でおだやかな島とは人かもしれない。
【逃げる】
どうしようか。これじゃあ住んでいられない。島民は逃げることも考えたが、よそに行こうとはしない。この島の中での生き方や生活になれているから。
解決策がない。
一度住んで、何代かにわたって暮らしているとそこからはなれられなくなる。活火山のふもとの暮らしも、台風がいつも上陸する所の暮らしも同じかもしれない。危ないから別の場所に移ればいいじゃないか、と言ってもそうそう簡単にはいかない。
そこにいて、そこで解決していく。そして「文化」を作っていくんだね。
ここでも仮面によって、そして巨大石像によって解決していく。それが現在でも残っている。逃げなかったものが形として残っていく。これっていいテーマになるよ。
【仮面】
これが象ちょう的だよね。基本のテーマになるように思う。二つの顔。
カモメはわかったのかもしれない。
人には仮面がある。一つの心、一つの気持ちだけではない。いろいろな形の顔が作られたり、表情が変わったりしていく。
「カモメは善悪がわからない」とキンテア・二は言っている。それなのにおそわなくさせたのは何か。仮面によってこわがらせたのではなく、混乱させたのでもなく、ひょっとしたら教育したのかもしれない。
自分で判断しろってね。言われたことを聞くだけではだめだって。その人をちゃんと見て考えてごらん、というふうに。
ボクらもいつも仮面をかぶっている。
小学校三年生の子が、「生きるってのは、がまんと仮面とおしばいだ」と言った。このことばがピーンと来てしまった。
きみはどうかな。仮面はない?一度仮面をかぶったら、素顔ももう一つの顔になる。仮面の一つになる。さもなければ、本当の自分や気持ちをかくした顔をする。その顔も仮面。
そんなところからこの話をもう一度考えていくと……、おやおや、とんでもなく深いところに向かっていく。
この作者ってけっこうすごいよ。表の話の展開とはまったくちがった、もう一つのメッセージをいくつも用意している。
おっとっと、ストーリーだけでは、きっとつかめないな。
「心」「人」「罪」……、そういうことを考えていくと、何かカチッと見えていくように思う。取り組みがいのある作品だな。
よーし、とっちゃまんイースター島に行こう。
いっしょに行くかい?
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※出典:これできみも読書感想文の名人だ(2000年)
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カモメがおそう島
ロベルト・ピウニーニ・作 高畠恵美子・訳 末崎茂樹・絵 / 文研出版