ぼくのクジラ

ゆうべはひどいあらしだった。だから海岸にはいろんなものが打ち上げられていた「サム」は、こわれた木箱やカモメの死がいにまじって小さなクジラを見つけた。

あさせに打ち上げられて、身動きがとれず太陽にてりつけられて苦しそうだ。海に帰してやらないと死んでしまうがサムでは力が足りない。

サムは、水をすくってかけてやったり、布でおおってやったりしながら、いのるような気持ちで助けを待った。ところが、そこにあらわれたのは、クジラの歯をコレクションしているビッグス兄弟だった!かれらは、クジラの歯がとくべつめずらしいものなのに気が付いて……。

 

◎とっちゃまんのここに注目!

サムの行動と努力には、やっぱりはく手だね。「やった!」と思ったよ。

深い色と光をたたえたクジラの目。ふるさとの海に帰っていくクジラ……。

ほんとうによかった!よかった!

 

・クジラの問題

今年(2002年)、山ロ県で国際捕鯨会議があった。昔からクジラを食べてきた日本と、クジラを食べるなんてひどい、クジラは保護すべきだという国ぐにとが、文化のちがいなどから、いつも対立している。今年もそうだった。

また、最近よく、クジラがはまに打ち上げられたというニュースを見る。

みんなで海に帰そうとするが、なかなかうまくいかない。ボクはいつも「死んだクジラはどうするんだろう?」と考えこんでしまう。

ばく発させるという案もあるし、食べたり、利用したりすべきだという人もいる。死体をそのまま海にもどせばいいという人もいる。

これは、かなり大切な議論だと思う。ボクは、「海からのプレゼントだから食べていい」と思う。だけど国際的な批判を気にする面が日本にはあって、そうもいかないらしい。きみは、この問題をどう思う?

ボクは、『ぼくのクジラ』を誌んで、クジラ問題のスタート地点はこれだ、という気がしたよ。そう、何よりもまず初めに、こんなふうに、クジラを助けてやろうという心がなくっちゃね。

クジラを殺して、歯をとって売ろうと考える二人組は、なんともいやなヤツに思えたな。

 

・なぜ、サムは?

クジラの体、目、呼吸……サムはクジラの「生」を見つめていたね。そしていつのまにか、自分がクジラの生死をにぎっているという立場に立ってしまった。そうしてサムは、実際にクジラを救ってしまった。これはすごいことだ。その気になれば、巨大なクジラを海に帰してやることもできるんだね。

ところで、なぜサムはクジラを海に帰そうとしたんだろう?「当たり前」と思わないで(だって、大変なことなんだよ)、このときのサムの決意と意志のもとになっているものは何かをさぐってみてほしい。これ、キーポイントだよ。

 

・いのち

サムの「クジラを助けたい」という心の問題を、「いのちをいつくしみ、環境を守るためには?」というテーマに深めていくこともできるだろう。このテーマに取り組めたら、すごいね~。

キーポイントは、サムの心と、考え方。そして、キーワードの一つは「いのち」だよ。ただし、「サムはすごい」だけだと、意見は深められない。

「ボクたちはどうすればいいのか」を考えていきたいね。

 

 

※上記の著作権は宮川俊彦にあります。
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※出典:読書感想文おたすけブック(2002年)

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ぼくのクジラ

キャサリン・スコウルズ・作 百々佑利子・訳

広野多珂子・絵 / 文研出版