世の中の文で書かれているものなんて、みんなこんなもんだよ。そう考えてごらんよ。もうゴールはそこだ。
ボクたちの世界はことばと文でできてるじゃないか。毎日それにとりかこまれている。
「新しいゲームのつかいかた」
「パソコン(※1)のつかいかた」
これって、せつめい書を読んで、わけがわからないと、つかえない。
人の言ったことがわからないと、どんなことばをかえしていいのかもわからない。「ロゼッタストーン」って知ってるかな。この石のかけらに書かれた文によって、おおむかしの古代エジプトの文明(※2)がどんなものだったかがわかったんだ。読もうとしなければ、わかろうとしなければただの石。
文にはちえ(※3)がいっぱい。じょうほう(※4)がいっぱい。教科書も文。国語・算数・音楽も、ぜんぶの教科書がそうだね。
それを
「読んで」
「なにが書かれているか」
「なにを伝えようとしているか」
をつかむ。
これだよこれ。これが読書・読解-本を読むこと・書かれていることを読みとることの「もくてき」。
ち(・)しき(・・)がふえる。ち(・)え(・)がふえる。自分のことがわかる。世の中がわかる。生きかたがわかる。人間がわかる。考える力がどんどんのびる。ことばがどんどんふえる。きみが大きくなる。心の中が広くなる。
感想文名人のデビューには、これがかかせない。
※1 パソコン=こじん用の小型のコンピューター
※2 文明=生活や世の中のようす
※3 ちえ=かしこい考え
※4 じょうほう=できごとやものごとについて、知っていて役にたつこと
【読むことだよ】
トーゼンだよね。なんといっても読まなければ感想文は書けない。どっぷりと物語の世界にとびこんでみようよ。
ただ読んでみよう。場面をうかべてみよう。
その場面がうごいていく。なにかがおこる。
なにがおこったんだろう。そこにはどんなことが書かれているんだろう。それをつかまえて!
【おおざっぱにつかもう】
物語を読んでそのあらすじをお話しできるかな。
「おもしろい話」。……というのは感想。あらすじにはならない。
そこでたいせつな点を知っておいてほしい。
なにが書かれているか、話のながれをおおづかみにしてみよう。
1.どんな話かということ。
2.なにがどうなっていくのか、そしてどうなったか。スジをつかんでいるか
ということ。
これだよこれ。
【暗記するまで読みこんじゃえ】
話をおぼえてしまおう。何回も読んだらきっと、おぼえられる。短い文ならなおさらだ。人の前で話もできる。
「文は百回読んだらしぜんに意味がわかる」ということも言われていた。教科書でもすきな本でも詩でも俳句でも、歌をおぼえてしまうように何回も読んで、暗記するくらいになっているということも、ときにはいいかもしれない。
きみも今まで読んだ本の一部や教科書の一部をおぼえているんじゃないかな。
ボクは今でも小学校の教科書の一部分だけどページごと思い出せる。
これは気に入ったり、気になったり、心に残っているからだね。しぜんにおぼえてしまう。これはすごいことだよね。
そのうちに、よけいなところは取りのぞいていって、たいせつな骨組み(※5)だけの話になるからふしぎだよね。
そんなときに「いつ・どこで・だれが(だれと)・なにを・どうしたか。そして
どうなったか」をきちんとまとめて整理してみるとおぼえやすいよ。
※5 骨組み=全体の話のもとになっている組み立て
【一言で言っちゃう】
ええいっ!それもめんどうだ。
わしゃいそがしい。一言で言ったらどういう話なんだ!ん?
『マッチ売りの少女』は、「えー、かわいそうな子のお話」。『ウルトラマン』は、「そのー、でかいやつがわるい宇宙怪獣をやっつける話」。『この本』は、「感想文の名人になるためのたいせつなことが書かれたべんりな本。感想文をうまく書けるようになる本」……。というように全体をおおづかみにしてしまう。まずは全体を読んでどんな話かをつかみ、それを一言か一つの文で言っちゃう。
その話を知らない人がいたとする。しかもその人はせっかちであわただしい人だ。
「どんな話なの?」と聞かれたときに、きみは一言で答えるしか時間がない。そんなことを思いえがいてやってみたらどうかな。
「この話はなんなんだ」
「えー、……」
と内容を一言でまとめる。あらすじを一言でまとめる。これは知っておくとべんりだ。
「どうやってまとめるのよー」と言われそうだ。こうしてほしい。
……「なにがどうする(どうした)(どうなった)話」
これを読みとっていくことだ。とうぜんよけいなものはどんどん切り落としていって、かぎりなくこのカンタンな文に近づけていく。ぎりぎりまでやっていくんだ。
【場面をつかもう】
なんたって本は場面だ。作文だって場面にはじまって場面におわると言われている。文は場面を表す。「つくえ」はつくえという場面が、書き手も読み手も場面として思いうかべられるからことばとしてつかわれる。
文を読んでいるけれど、同時に場面をそうぞうして見ている。言ってみればテレビドラマみたいなものだ。それは読みおわってもうかんでくるね。
ヘラクレスとゼウスの出会いの場画(『ギリシヤ神話』)。カンダタがクモの糸をつたわって登っていく場面。よだ(・・)か(・)が空から一気におりてきたり、のぼっていったりする場面。夜中にいっしょうけんめいにセロをひいているゴーシュ。今こうやって本を書いているボク。
みんな場面だよね。文で伝えるんじゃない。文をつかって読み手に場面を伝えているんだ。
【はじめとおわり】
物語には、はじめがある。そしておわりがある。これをつかんでおこう。あるできごとを語っているんだよね。それがなにかをつかめばいいんだ。
矢じるし(→)をつかって文のながれを追ってもいい。組み立ててもいい。
大きなながれと、中心になるなというところをポイントにする(※6)と骨組みが見える。さいごは「なにがどうなったか」だよね。
本のさいごには物語のおわりが書かれている。「どうなったか」が書かれている。はじめからおわりへとすすんでいく。一さつの本にはかならず結末(けつまつ)(しめくくり)があるんだ。
それをつかんでしまおう。
結末があって、そこにむかっての道すじ・いきさつが本文に書かれている。コトのおこりは、はじめの部分に書かれている。だから結末を読んで、はじめを読んで、いきさつをちょいちょい拾い読みするだけでも、だいたいの内容はつかんでいくことができる。
本文はなぜそういう結末になったかが書かれている。
まとめるとこうなるね。
・はじめの部分……「なにが」にあたる。
・本文……「なぜ」とか、「どうしたら」にあたる。
・さいごの部分……「どうなったか」にあたる。
これをしっかりつかんでごらん。どんな物語でもアッという間にわかってしまうよ。もちろんそれが感想文の「なにが書かれているか」になる。
※6 ポイントにする=だいじなところと考える
【クライマックス】
その中でもクライマックスというのがある。もり上がるところだね。「大きくものごとが変わっていくところ」だ。
「人魚ひめが王子様をたすけようとするところ」
「はだかの王様の行列で、子どもが『なにも着ていない』とさけぶところ」
「『三国志(さんごくし)』(※7)の赤へきのたたかいのところ」
「ひみつのアッコちゃんの『テクマクマヤコン』のところ」
なんてね。そうだろう。いちばん大きなヤマがおわりにくることは多いよね。
そこまでに大きいヤマもあれば小さいヤマもある。
※7 『三国志』=中国のむかしの三つの国のれきしの話
【きみはコナンだ】
名探偵(めいたんてい)コナンも金田一少年も名刑事(めいけいじ)のコロンボもきみだ。場面がどのようにうつり変わっていったかを見てみよう。場所はたいせつだよ。どこでなにがおこったか。チェックしてみよう。
なんかいも言うけど物語は場面だ。どこのどんな場面=場所からどう変わっていくのかを見ていこう。おしばいでさ、「第1幕……の場」というのがあるじゃない。それとおなじ。
そこには、道具がある。きせつ、木とか森、生き物、色、におい、音……。ちゃんとつかんでみようね。
頭にえがくんだよ。そこが物語の事件現場だ。
【登場人物を追え】
えーと、コナンくん。事件はかならず物語に登場する人によってひきおこされるよね。
あったりまえジャン。
追ってくれたまえ。「だれは、なにをしたか」そして「どうなったか」だ。これをひとりひとり拾い出してやってみてもいいね。
【人はどうすればいいんだろう】
なんでも人間の生きかたやありかたにおきかえてみるといいよ。
書き手は人のありかたについての考えを語っているし、問題を投げかけている。
書き手は「自分」「世界・社会」「人」について、なにかを語ろうとしている。
この人はどんな問題についてどう語っているのかをつかんでいくことだよ。
【本は心のドラマ】
そう考えるとスッキリする。心が物語のテーマなんだ。
心のない人はいない。ひとりひとりが考えて、そしてその心があるから、心がからみあってなにごとかがおきていく。ボクらのふだんのくらしだっておなじじゃないか。物語は心を映していると思うな。心っていっぱいあるしね。「かなしい」「くやしい」「うれしい」……、そんなことばは心のことば。きみの知らなかった心に出会うことだってある。
これたいせつだよ。心のことばや心が感じられるところを、えんぴつで囲んだり線を引いたりしてみるとわかりやすい。
【登場者を拾い出す】
ボク、お話の中に登場してくるものは人だと言ったよね。神様であっても、じごくのえんま様であっても、かぼちゃでも、ネズミでも……、それは人。
人が書いているんだものね。とうぜんだよね。お芝居で言えば配役(はいやく)(※8)。それをぜーんぶ拾い出してごらん。どんな役なのかがわかるよ。
※8 配役=役をわりあてること
【おかしいぞさがし】
たとえば『ウラシマ太郎』。
「海の底にある城なんておかしい。水のあつ力は?」
「イキはどうしているんだ」
「なんで何百年もたっているんだ」
「なんで海に入ってウラシマはおぼれないんだ」
おかしいなー。
むかしの話だからとか、作りものだから、でおわってしまってはもったいない。そこで読解や探求(たんきゅう)(※9)はストップしてしまう。
『ウルトラマン』はこまったらたすけに来てくれるけれど、ボクらはいっさいお礼のお金もあげていないし、おやつもあげていない。ただたよっているだけ。これでいいのだろうか。もしも急にたいどが変わってしまって「怪獣たおすのやーめた」と言われてぎゃくに手を組まれたらどうしよう。地球(ちきゅう)防衛軍(ぼうえいぐん)はたよりになるかな。
『金太郎』はクマとたたかって勝った。力持ちだ。しかしそれだけで都に行ってつかわれたとして、本人は満足なんだろうか。人が自分のもつ力をみとめられて世の中の役に立たせてもらう。それしかないんだろうか……。
『一寸法師』はその小さい体のままでよかったんじゃないかな。打ち出の小づちで「大きくして」、ふつうのサイズになってしまった。それで幸せになれるんだろうか。これってコンプレックス(※10)かなー。
考えることは「ぎもん」からはじまるんだ。意見がするどくなるよ。
※9 探求=なにが書かれているかをさがしもとめること
※10 コンプレックス=自分がほかの人よりおとっていると思う気持ち
【みんな主人公だ】
もちろん感想文を書くきみが主人公。きみが読んできみが書くんだから。
本の主人公がいる。サトルくんだとか。自転車とか。シンデレラとか。だいたいひとりの人を中心にして話がすすんでいく。もちろんそこはとくに注目して、主人公がなにを考え、なにをしていくかをとらえていくといい。
しかしだ、たとえばシンデレラの話では、「くつ」だって主人公になれる。知ってるかな。そのくつのためにいじわるおねえさんたちは「死けい」になった、という話もあるんだよ。
「ゆめ」を中心にするのもいい。「ゆめ」がシンデレラをぶとう会にはこんだとも言えるよね。「0(れい)時(じ)」という時間もいい。その時間に一つの自分がおわって新しい自分が生まれる。一日の変わりめだもの。そんなこと考えたらきっとおもしろい文が書けるよ。そこに登場している、だれでも・なんでも主人公になれるんだ。
感想文の場合など、「ボクはくつが主人公だと思う」というふうに書き出すこともできるよね。「ふつうは人に合わせてくつをえらぶ。くつに合わせて人をえらぶっていうのはおかしいよな。くつって入れもののことかもしれないな」、なんて言ったらサイコーだよ。
なぜそれが主人公か、をせつめいしてみるのもおもしろい。
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※出典:これで読書感想文の名人だ