はだかの王様

みんな王様(おうさま)をバカにする。そして正直(しょうじき)であることの大切(たいせつ)さだけをとらえて、終(お)わってしまう。それがふつうだよね。

しかし感想(かんそう)というのは、または文(ぶん)の読(よ)み方(かた)というのは、どこまでものぼっていけるかいだんのように、ひとつひとつのレベルがあるんだ。

たとえばこの『はだかの王様(おうさま)』では、

①  正直(しょうじき)はいいことだ(うそをついてはいけない)。

②  うそをつくことは、心(こころ)に弱(よわ)さがあること。

③  よいうそ、悪(わる)いうそがある。

④  何事(なにごと)に対(たい)しても、正直(しょうじき)でありさえすればいいのだろうか。

⑤  自分(じぶん)の気(き)もちに対(たい)する正直(しょうじき)と、人(ひと)に対(たい)する正直(しょうじき)。少(すく)なくとも正直(しょうじき)には  二(ふた)通(とお)りある。それはだいたいいっしょにはなれないもの。

⑥  国中(くにじゅう)のみんなが”うそ”をしんじている中(なか)で、たったひとりの”正直(しょうじき)な

発言(はつげん)は、正(ただ)しいと言(い)えるのか。

⑦  この少年(しょうねん)は、社会(しゃかい)をこんらんさせているのではないか。

⑧  ないものを思(おも)いこみであると信(しん)じているのは、国(くに)やきまりやじょうし    きや、正(ただ)しいとみんながしんじていることと同(おな)じではないのか。

⑨  王様(おうさま)は、自分(じぶん)でさいこうの服(ふく)を着(き)ているという気(き)もちだけで、さいこう のものといえる。

つまり、気(き)もちを、気分(きぶん)を着(き)ているのだ。

自分(じぶん)がさいこうと思(おも)ったもの、それが一番(いちばん)だ。

というように、いくつかのだんかいを追(お)っていくことができるね。①、②しかわからない人(ひと)でも、そこで読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)が書(か)けるハズ。⑦、⑧、⑨とじっくり考(かんが)えられる人は、そのだんかいでの文章(ぶんしょう)を、書(か)いていくことができるということだね。

ひとつのテーマを、どの高(たか)さのだんかいでふみとどまって書(か)くか、それが読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)のなかみを決(き)めていくんだ。

文(ぶん)の書(か)き方(かた)だけが正(ただ)しくて、ないようがないなんてのはダメ。どれだけひとつの作品(さくひん)をめぐって考(かんが)えたか、それこそが読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)を書(か)いていく理由(りゆう)なんだよ。

あたりまえのことだけど、はだかの王様(おうさま)は君(きみ)であり、この少年(しょうねん)も、たくさんの人々(ひとびと)も私(わたし)たち、というこどができるよね。

そこで「しんじる」とか、「しんじつ」とか、「思(おも)いこみ」とか、「社会(しゃかい)のしくみ」をめぐってお話(はなし)ができていると、いろいろなことを考(かんが)えていくことができるというわけさ。

 

 

 

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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)