火の鳥がもえつきたら……

手塚(てづか)治虫(おさむ)さんの名作(めいさく)「火(ひ)の鳥(とり)」が、もしも、もしももえつきたら……やき鳥(とり)になったりして!?

あの鳥(とり)は、いのちが終(お)わらないということになっている。だから、決(けっ)してやき鳥(とり)にならないということなんだね。でも、この世(よ)が終(お)わったとしてもだろうか?それとも、この世(よ)をふくむあの世(よ)、その世(よ)、どの世(せ)?が終(お)わったとしても……。

読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)の本(ほん)というのは、文章(ぶんしょう)が書(か)いてある本(ほん)だけとは限(かぎ)らないんだよ。半分(はんぶん)が絵(え)でも、全部(ぜんぶ)が絵(え)でも、もちろんマンガでも、テレビドラマでも、新聞(しんぶん)の四コママンガでも、世(よ)の中(なか)のできごと、じけんもみんな自由(じゆう)に読(よ)んでいくことのできるものさ。

こうなって、こうなって、とストーリーだけ、あらすじだけを読(よ)んだとしても、これは本(ほん)を読(よ)んだとは言(い)いません。それをもとにして、〝しかし、オレはこう思(おも)う〟〝こいつはおかしいゼ〟〝なるほど、これはこうなのか〟というようなことばをパッと頭(あたま)にうかべて、自分(じぶん)の意見(いけん)を語(かた)っていかなければ、読(よ)んだっていうことにならないんだよね。

人間(にんげん)のやっていることは二(ふた)つあります。

それは"わかること"と"つたえること"。

わかることは君(きみ)らなりにかってにわかればいいけど、つたえることは、どうわかったのかを、いかにつたえるかという期待(きたい)があるんだよ。

だかちこそボクの出番(でばん)なのです。

読(よ)むというのは「わかり方(かた)」。書(か)くというのは「つたえ方(かた)」。君(きみ)が頭(あたま)をつかうのは、たったこの二(ふた)つだけ。そう思(おも)っていれば、よけいな力(ちから)は使(つか)わなくていいだろう、ね

 

 

 

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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)