花ビン=読書

だいたいね、君(きみ)たちが本(ほん)を読むっていうと、どうしてもことばとか文章(ぶんしょう)にこだわって、しばりつけられてしまっているワケなんだな。

これはマズイね。よくないナー。なぜ悪(わる)いかって?そりゃそうだろう。ことばっていうのは、場面(ばめん)やじょうたいをおきかえたものなんだから。

「山(やま)」っていうことばを考(かんが)えてごらん。

これはいろんな山(やま)を人(ひと)につたえるために、大(おお)きくひとまとめにして「山(やま)」ということばを作(つく)ったんだ。だから、そのことばからボクが受(う)けるイメージと、君(きみ)たちひとりひとりのイメージは、みんなちがっている。人(ひと)によっては、エベレストだったり、ふじ山(さん)だったり、いつも虫(むし)をとりに行(い)く学校(がっこう)のうら山(やま)だったり……、これはアタリマエ。たったひとこと「山(やま)」と言(い)ったってよくわからないから、それにくっつくことばをどんどんふやして、どんな「山(やま)」なのか、高(たか)いとか、とんがっているとか、緑(みどり)だとか、つまりつたえたいことを、よりつたえやすくしていこうとするワケなんだ。

ことばをかえて言(い)うと、ものをことばで表(あらわ)すと、どうしても自分(じぶん)の思(おも)うとおりにはうまく人(ひと)につたわらない。まちがってつたわることのほうが、多(おお)いってことになるんだな。そこで、自分(じぶん)が思(おも)うことを正(ただ)しくつたえようとするために、こまかくこまかく書(か)いたり、またはイメージだけで書(か)いてみたり、いろいろな文(ぶん)にしたりと、それぞれに工夫(くふう)した、ことばを使(つか)ったつたえ方が、生(う)まれてくるというわけなんだ。

君(きみ)たちが今(いま)から書(か)こうとしている読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)も、本(ほん)のないようがおもしろくても、たとえつまらなくても、そこにはことばによっておきかえられた場面(ばめん)が、広(ひろ)がっているんだ。

ボクたちみんなが本を読むっていうことは、ことばにおきかえられたじょうたいを、頭(あたま)の中(なか)にさいげんする、うつし出(だ)す、ビデオのように再生(さいせい)することなんだよね。

だから、花(か)ビンの場合(ばあい)と同(おな)じように、頭(あたま)の中(なか)で、ことばや、ことばの向(む)こうがわの場面(ばめん)を、どれだけいろいろな見方(みかた)で見(み)ていくことができるか。それが一番(いちばん)大事(だいじ)なことになってくるんだよ

 

 

 

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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)