傘じぞうはけいざい問題

『笠(かさ)じぞう』は、かならず年末(ねんまつ)に、どこかの放送局(ほうそうきょく)でアニメとなって登場(とうじょう)してくる話(はなし)。正月(しょうがつ)をむかえるのに、ふさわしいとされているからね。

ただ、ここにもたいへんむずかしい問題(もんだい)が、広(ひろ)がっているんだ。

げんじつには、笠(りゅう)じぞうが金(きん)のおおばん、こばんを運(はこ)んでくるはずがない。どうもこれはけいざいの問題(もんだい)が、かんけいしているようだな。といってもむずかしいものではないんだよ。何(なに)かをあたえて何(なに)かをえる、つまり、こうかんのことなんだ。

売(う)れのこった笠(かさ)を、かわいそうだという気(き)もちであたえた。もちろん、これは笠(かさ)の代金(だいきん)をとらないし、見返(みかえ)りも期待(きたい)していないよね。それに対(たい)して夜(よる)、おおばん、こぼんが運ばれるんだ。

おじぞう様(さま)にあたえた笠(かさ)は、笠(かさ)売り(うり)にとって大切(たいせつ)なたからであり、ゆたかに生(い)きていくためのしゅだんだね。それを何(なに)ものぞまなくてあたえることによって、大(おお)きなかちが出(で)たということなんだ。

あるいは、それはものではなく、みちたりた気分(きぶん)なのかもしれないね。

いいことをした時(とき)に、私(わたし)たちはいいことをしたんだなあ、という気分(きぶん)になるよね。一万円(いちまんえん)ひろったら、ネコババしないでけいさつにとどける。そういう自分(じぶん)がすべきことをしたんだなあというまんぞく感(かん)、じゅうじつ感(かん)を、そのこういとこうかんしているってことなんだ。

世の中(よのなか)のことは、すべてこうかんによって成(な)り立(た)っている。そんな読(よ)み方(かた)をすると、この世(よ)の中(なか)のさまざまな出来事(できごと)やじけんが、れいとして語(かた)られていくんじゃないかな。

 

 

 

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※出展:きみにも読書感想文が書けるよ(1989年)