アンパンマン対けつ宮川先生

アンパン大(だい)こうぶつのボクは、アンパンを食(た)べる前(まえ)にいつも、両手(りょうて)でムギュッとアンパンをつぶします。こうして空気(くうき)を出(だ)して、ひらべったくするんです。だからアンパンマンが飛(と)んで来(き)て、目(め)の前(まえ)の机(つくえ)の上(うえ)に立(た)ったら、アンパンマンはボクのぶあつくて大きな(おおきな)手(て)でつぶされて、アッというまにオダブツ。

サテサテ。このアンパンマンはどうして頭(あたま)を食(た)べさせるんだろう。どうせジャムパン屋(や)にまた作(つく)ってもらうんだから、ぜんぶ食(た)べさせたってだいじょうぶなのに、どうして少(すこ)しだけしか食(た)べさせないの。ぜんぶ食(た)べてなくなったら、どうなっちゃうの。

そう考えると、とってもふしぎなのです。

考(かんが)えるときには、いつもいくつかの「もしも」が必要(ひつよう)です。

「もしもアンパンマンが、宮川(みやがわ)先生(せんせい)のおなかのなかにはいったら」

「もしもドラエモンが、きおくそうしつになって、自分(じぶん)のもっている力(ちから)をぜんぶわすれてしまったら」

「もしもアルプスの少女(しょうじょ)ハイジが、『オラこんな村(むら)いやだー』と言(い)って東京(とうきょう)へ行(い)っちまったら」

「もしもりゅうぐうじょうへ浦島(うらしま)太郎(たろう)をつれていくハズのカメが、道(みち)をわすれてまよってしまったら」

こんなふうに、いろいろな”もしも”を考(かんが)えていくことができる。

だいたいホラ!お話(はなし)っていうものは、ひとつの”もしも”なんですよ。

だからそれを、いろんな”もしも”で読(よ)んでいくこともできるんだね。

この”もしも”というほうちょうでもって、お話(はなし)をさまざまに切(き)りきざんでりょうりしていく。メッタ切(ぎ)りにして、どうなるのかを見(み)てみることも、とっても大切(たいせつ)なことなんだ。

アンパンマンをよーく知(し)るには、アンパンマンをかいぼうしてみなくちゃわからない。食(た)べてみなくちゃわからない。

だからパクッ(食べた(たべた)音(おと))

ムウーグッ(のみこんだ音(おと))

ゴックン(おなかにはいった音(おと))

ほら、アンパンマンのことがわかってきたゾ。

 

 

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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ パート2(1・2・3年向)(1990年)