だからどうしたシンドバット

イスラム教(きょう)の世界(せかい)っていうのはスゴイね。

頭(あたま)にターバンをまいている人たちはスゴイね。

だってさ、れきしのなかの一時期(いちじき)には、すべての科学(かがく)技術(ぎじゅつ)がここに集中(しゅうちゅう)して、世界(せかい)の中心(ちゅうしん)となっていたんだからね。

だから、シンドバットの航海(こうかい)技術(ぎじゅつ)も、とってもとってもスゴいんだ。

ボクは、むかしむかし小学校(しょうがっこう)のころに、この『シンドバットのぼうけん』を、大(だい)すきな女(おんな)の子(こ)からプレゼントされて、いっしょうけんめい、いっしんに読(よ)みました。

マンガぐらいしか本(ほん)というものを読(よ)まなかったのに、この本(ほん)だけはおもしろくておもしろくて、いっしょうけんめいに読(よ)んだのです。

シンドバットは、とってもあぶない目(め)にあいました。ドラゴンをたいじしました。大きな(おおきな)鳥(とり)につかまって空(そら)をとびました。

たしかにワクワク、ドキドキする話(はなし)なんだけれども、ここでちょっと考えたいのは、

「え、それでどうしたっていうの?」ということ。

それでシンドバットは大金(おおがね)もちになったのかな、有(ゆう)名人(めいじん)になったのかな。

読書(どくしょ)感想(かんそう)文(ぶん)で、そのもんだいを考(かんが)えてかいている人(ひと)はだれもいない。みんなお話(はなし)にそってあらすじをかいて、「こわかった」「ドキドキした」「シンドバットはカッコイイ」と感想(かんそう)を少(すこ)しだけかいておわり。

でも、それはただの読書(どくしょ)ということ。

目(め)をランランとかがやかせて、シンドバットのぼうけんを語(かた)ったあと、そこから、えんぴつを手(て)にしっかりとにぎってかきはじめるのです。ここでは何(なに)をどう書(か)くかということがポイント。

「だから、どうしたっていうの」

「それで、何(なん)なのいったい」

こういった考(かんが)えを、いつも頭(あたま)のなかにいれておこう。

そして、その問(と)いについて君(きみ)の考(かんが)えやこたえ。もし、こたえがなかったら「自分(じぶん)はここから、こう考(かんが)えて、それでまたこう考(かんが)えて……」といったとちゅうけいかをかいていくといい。 それが作文(さくぶん)をレベルアップする方法(ほうほう)のひとつなのです。

海(うみ)の波(なみ)、ひとつひとつは、もしかしたら、時間(じかん)のことかもしれない。

上陸(じょうりく)してみたいろいろな島々(しまじま)は、その時間(じかん)のなかでおこったできごとなのかもしれない。

いつも危険(きけん)があり、ゆうきがあり、人々(ひとびと)の助(たす)けがあり、あいじょうがある。

そして、海(うみ)をのりこえ、こんなんをのりこえ、べんきょうをのりこえ、おかあさんのこごとをのりこえる。

これらぜんぷが、君(きみ)の毎日(まいにち)の生活(せいかつ)のことかもしれないナ……。といったぐあいに考(かんが)えることができれば、もうしめたもの。

「それが、いったい何(なん)だっていうの?」

というぎもんに対する自分(じぶん)自身(じしん)の考(かんが)え、こたえになるんだろうね。

 

 

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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ パート2(1・2・3年向)(1990年)