読書って楽しいよ

きみが今まで読んだ中でいちばんおもしろかった本はなにかな。ちょっと思い出してみよう。

「おもしろい本」というのもいろいろあって、ゲラゲラ笑えた本もあるし、「うーん、ためになった」という本もあるし、スラスラ読んだけどほとんど心に残らなかったという本もあるはず。

中にはいっぱい読んだけど、話のスジしかおぼえていないという人もいる。読むはしから、わすれたという人もいる。読書は読みかたによって浅くも読めるし、深くも読める。

「なんでだろう」「なぜこれはこうなのか」といった「ぎもん」をもって読んでいくと、かならずなにか答えてくれるはずだ。

とはいっても、いつもむずかしい顔をして読んでばかりいたらきっと「やーめた」になってしまうかもしれない。

いいんだよ、ただ読んで。その世界にひたって。自分をわすれて。読みおわって「フー」。そこからふりかえっていけばいいよ。ぜんぶの本に感想文がセットになって、そろえられているわけじゃない。

感想文を書くときには、意見を書こうというし(・)せい(・・)(※1)で読むということがたいせつ読みかたを変えていくことだね

一さつの本で生きかたが変わったという人がいる。一さつの本で世界が変わったということもある。何百年も読まれつづける話がある。文にはそうした力があるんだ。ボクだって小学生のとき読んだ本を今も持ってるよ。たから物だ。すてられないよ。

そうそう教科書だって本だ。一年もかけてみんなで読む本。ぜいたくだよね。

 

※1 しせい=体のかまえかた。ここではものごとに対する心がまえとたいど

 

【なにをぬがせるの?北風と太陽くん】

決まってるジャン。服ジャン。おっとっと。それだとニッポン中、おなじ意見になっちゃうよ。

「どっちが勝ったか?」

「太陽」

フフフ。ちがうよ。さいごはあまりにもあつくて水に入ったんだよ。どっちもどっち。旅人は服はぬいだけど、水を着たんだ。

おやおや、とっちゃまん、変なことを言い出したねー。

水って着られるの?ウムウムウム。いいことに気がついた。

この話をね、「服ってなにかな」と考えるとこんな考えかたが生まれてくる。

ボクらはなにを着て`いるんだろうか?「服」

「その下は?」「下着」

「その下は?」「エッチ!」……「じゃなくって」「肉」

「その下は?」「ほね」……ウーンそういうすすみかたじゃなくて。

朝、服をえらぶでしょう。どうやってえらぶ?

着たいもの、着て行きたいもの、温度とかき(・)せつ(・・)とか場所とかを考えて、だよね。ふだん着とか、およばれ着とか、パジャマなどがある。学校にはめったにパジャマでは行かない。

これはなんだろう。そうだよ。その日をどんな自分でいようかと考えて、それに合った服を着るわけさ。考えとか、気分とか、気持ちを着るということにならないかな。

ホラホラ。そこまでくると、旅人の服というのは深い意味が出てくる。

北風のような、かなしさ、つらさに会うと、人は自分をいっぱい着こむ。寒くないように。

太陽のような明るさ、あたたかさ、やさしさに会うと、自分をぬぎはじめる。

安心するのかな。しかし、あたたかくなりすぎると、人は太陽をさけて、水のつめたさに入る。

これってただの力くらべの話じゃないよ。もっと、人ってこうなんじゃないかな、ということを語ろうとしているよ。

 

【作者を知るといいんだ】

この北風と太陽の作者は、イソップ。

このイソップという人はドレイ(・・・)(※2)だったんだよ。苦しかったんだ。そして王様に気に入られて、そばにいるようになったけど、またほかのき(・)ぞく(・・)たち(※3)のやきもち(※4)にあったりして、死けいになったと言われている。

そんな「けいけん」をもつ人が、かんたんにものごとを勝った負けたなんて言うだろうか。ボクは、イソップの作った話は、どれもこれも今言われているような教訓(きょうくん)(※5)ではないと思う。もっとちがう意味がかくされていると思う。さがしてごらん。

作者の生い立ち(※6)や生きてきたすがたを知ると、それと作品はむすびつく。

書き手について調べてみるというのも感想文のいいやりかただ。とくに基本の2についてはこれでわかることもある。

ほんとうに言いたいことをかくして、さりげない話にしていることも多いんだ。だってむかしは今ほど言いたいことが言えなかったんだよ。「書き手のほんとうに言いたいこと」をほり出して、見つけてみようじゃないか。これはすごい感想文になるよ。

 

※2 ドレイ=むかし、お金で売り買いされて、はたらかされた人

※3 きぞくたち=身分や家がらの高い人たち

※4 やきもち=人の幸せやすぐれているところをうらやんだり、

にくらしく思ったりする気持ち

※5 教訓=役に立つ教え

※6 生い立ち=生まれてからおとなになるまでのようす

 

【ウソつき少年とオオカミ】

イソップの中でもとくに有名な話。知ってるよね。

これも「ウソはいけません」とか、「いつもウソをついていると信用がなく

なるよ」、ということが「正しい」読みとりかたのように言われている。

そうかなー、と考えてしまうな。イソップは正直だったから、ウソをつかなかったから、ドレイから王のそばにまでいけたんだろうか。

ちょっとまってよ。かんたんに考えるのストップ!

よーし!もうちょっとちがう読みかたをやってみようか。

たしかに少年はウソをついた。わかった。ウソはいけない。わかりました。

でもこの話の中でいちばんこまったのはだれか。そう、村人です。この少年に羊の番をさせた人たちで、させたままになっている人たち。羊はざ(・)いさん(・・・)だよ。なくなってしまったんだ。この少年を「ウソつき」とせめておわりかなぁ。

かしこいきみはもうわかったね。たとえウソとわかっていても、その少年にまかせたからには、かけつけるべきだった。「ウソつき」と知ったあとでも番をさせていたんだもの。

ソンをしたのは村人。トクをしたのはオオカミ。つらい思いをしたのは羊。この少年は「ウソをついて」そして「ほんとうのことを言った」だけのこと。

信じるとか、信じられない、といったことでその人のねうちを決めていいのかな。それより自分にとってたいせつなことをしっかりと見て、やらなくてはならないことをちゃんとしたほうがいいんじゃないか、とボクは思うよ。

ね、ちょっとちがった意見が生まれるだろう。こんな読みとりかたもできるということさ。

きみも見つけてごらんよ。ボクたちもきちんとものを見ることを学ばなくちゃいけない。人の言うことを信じたり、うたがうだけじゃいけないんだと思うな。

 

【キーマンをさがそう】

ウソつき少年の話では、少年もキーマンだし、羊もキーマンかも知れない。その話の中で「カギ=キー」をにぎると思う人を「キーマン」という。もちろん正しい答えはない。きみが見つけるといいその人に目をむけるとなにかが見えてくるということだね。

たとえば『ウラシマ太郎』ではカメ。全体を見ているのはカメだもの。りゅうぐうじょうへはこんで行って、そこでのくらしを見ていて、そしてもといた場所にはこんで帰ってくる。きっと、老人になって死んでいくウラシマを見とどけたと思う。ヒメにほうこくしただろうね。

となれば、カメはこのウラシマの旅を――人生をどう見ていたか。というところから、きっと今までとちがったとらえかたや意見が生まれてくる。

『ハーメルンのふえふき男』では、足のわるい少年。ひとり残っていて、子どもたちがふえふき男といっしょに出ていったことを、おとなたちに話す。ぜんぶ見通しているよね。子どもがいなくなる。つまりは未来がなくなる。しかしこの少年がいる。なにかが見えてきそうだ。

・登場している

・しかし回数は少ない

・全体を見ている

・ストーリーの中でなくてはならない役わりをしている

そんなキーマンをさがしてみよう

 

【一寸法師(いっすんぼうし)のキーワード】

打ち出の小づちは、おにが残していった最終兵器(※7)だ、と言った子がいた。すごいよね。だってそれが一つあれば、人間の社会はこわれるもの。

なんでもねがいがかなってごらんよ。なにもすることがないよ。ウラシマみたいなもんだ。だから人問はなにもしなくなって、ダメになっちゃうというわけ。いいよなこれ。アタマいいと思った。

『聞く地蔵(じぞう)と聞かぬ地蔵』という話がある。知ってるかなー。なんでもねがいごとをかなえでくれるお地蔵さんに、村の人はねがった。「幸せに」「金持ちに」「わかく」「かしこく」「けんこうで」「長生き」……といったことをね。

そうしたらみんなかなえられて、村中が幸せでゆたかになった。こんどは「自分がいちばん幸せに」とみんながねがった。それもかなえられた。つぎには「人の家に不幸が来て自分だけが幸せであるように」とねがった。それもかなえられた。村中が、おたがいがおたがいを、不幸に、とねがうものだから、みんながとなりの人を信じられなくなった。そのうちにだれもがこわがって聞く地蔵にねがいごとをしに行かなくなった、という話。

まだつづきはある。今度読んでごらん。

これと打ち出の小づちはおなじだね。一寸法師が「大きくなれ」と言ったら大きくなった。なんでもねがいがかなうということは、すばらしいと思えるけれど、それは自分たちをこわすことにもなる。まほう(・・・)はほしいと思うだけでいいよね。じっさいにはいらないと思うよ。

でも今のニッポンは、聞く地蔵と打ち出の小づちがあく手してできあがっているみたい。

「あれ買って」「ハイハイ」

「ここ行きたいよー」「ハイハイ」

よほどのムリをしないかぎり、なんでもねがいはかなう。これでいいのかなー、と考えはすすんでいくよね。

「ねがいがかなう」、これがキーワード。たいせつなところだぞ。キーワードは話がわかるための手がかりとなることばのこと。感想文の核(中心)になるところ。言ってみりゃ最終兵器だよ、ウン。

 

※7 最終兵器=すべてをおわりにする協力なぶき

 

 

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※出典:これで読書感想文の名人だ