動物園のおり

はい一年間の御無沙汰でやんした。トッチャマン君です。

そして今年もまたこうやって元気な姿(見えないっつうの)で君とお会いできること、嬉しいんだわさ。

毎年この本だしていくんだって。

っていうことはだ。去年書いたものと同じものを書いていくということはできないっていうことだよな。いいじゃん!やってやろうじゃん!。エーン。

言葉は毎年変わっていくんだ。考えることも思っていることも、毎年と言わず毎日、いや毎分変わっていくんだよな。いつも新鮮な自分を示していくことが大切なことなんだと思うよ。「前にやった」なんていうことは本当は大した意味がないのかも知れない。いつも新鮮な自分で今の考えで、ものごとに向かっていくことが必要なんだと思う。

「自分は変わらない」なんていうことはないもの。自分こそ、いつも変わっていくし、「また変わっていくことを求めているようにも思う。

「あのひとってさ、こんな人だよね」という評価はいい。けれど、人は変わる。自分も変わっていく。そうじゃない?。そして相手だっていっぱいの心を持っている。そして自分もまたいっぱいの心を持っている。相手のちょっとした、ささいな面を見て「きっとあの人はこういう人だ」だから「そういう人だ」と言ってしまうことは、実は危険なことなのかも知れない。危険だけれど、そうやってボクたちは毎日人のことや、ものごとを判断して考えていくんだよね。

ましてその時の自分の考えとか、判断していく基準というものも変わっていく。いつも変わっていくし、それを勉強していくことでボクたちは身につけていく、ということになる。

人やものごとを、だんていしていくことはできないんだ。けれど、だんていしていくことによって一歩二歩進んでいく。ただ、そこではとりあえずそう思うことで、ということをたがいに忘れないでいることが大切だということだ。

人も変わる。自分も変わる。それを知っていれば良いんだ。知っていて、そして今の自分でものごとを考えていくということ。そうしていかないと意見というものは生まれていかない。

大人になってからも、先生というたちばのひとも、それは同じこと。子どものうちだけが自由であって、大人になったらかたまってしまう、なんていうことは本来ない。みんな死ぬまでそうやっていくんだ。勉強は、だから一生続いていく。

ぜんぜん「動物園のおり」のことについて言ってないよな。ほんとは言っているんだけど。

あのさ、この間ボクの教室でやってたんだけど、「動物園のおりの中に入る動物って幸せなんだろうか」って。ねえ、君どう思う?

これあんがい大切な問題なんだよな。

きっと「自由の大切さを言いたいんでしょ」なんて、アッタマのいいやつは今思っているだろ。

ちがうぜ。逆だぜ。

まあ聞いてくれよ。

動物をあっちこっちからつれてきて、そして動物園なんていうものをこしらえてみんなに見せる。これはいったい何か。まずここを考えてほしい。

そこにいかなくても見れるから。

そんなことはないぜ。それはテレビとか写真とか、がない時代の話。今の時代にどんな意味があるかって言うこと。確かに、直接見るということは大切なことかもしれないよな。

そして観察、実験、ということもひょっとしたら必要なことかも知れない。

絶滅にひんしている動物をつかまえてきて、かくほして、そして完全管理をして人工的に増やしていく。生かしていく。これは人の思いあがりと言えなくもないけれど、必要といえば必要なことなのかもしれない。

ま、ここでも君たちのいろんな意見が出てくることは当然だよな。それはそれで考えておいてくれ。

つかまえられた動物は、と視点を移してみよう。

そりゃ本人でなきゃわからないことはいっぱいある。「きいてくれ」になるのはわかる。あえて考えてみるんだ。ボクたちは、ものにたくして自分の意見を語るということをしている、生き物だからね。

当然、家族とか仲聞とは引き離され、野生を失うことで、むりやりその環境に適応させられていく。自然の中の生活は捨てさせられる。しかし同時に手にしていくものがある。

それは「安定」と「安全」だ。

病気にかかる。医者が来る。食べ物はいつも提供される。友人や恋人や結婚相手も取りそろえてもらえる。

見物人から人気をえる。名前ももらえる。そして死んだら、お墓もたててもらえる。葬式をしてもらえるときもある。

自然の中にいたとしよう。

ここでも得るものと捨てるものがある。

仲間はいる。親子兄弟もいる。

しかしえさは自分で探す。なければガマンするか、へたをすると死ぬしかない。そして特に強い動物でないかぎりは、いつも命の危険にさらされている。

いつ、おそわれて闘って死んでしまうかわからない。

ただその動物として生まれて、そのまま生きて死んでいくだけ。けれど全部、自分の責任や運命をしょって生きていくことはできる。何事も自分次第ということ。

君ならどっちを選ぶだろう。

教室で聞いたらね。六対四で動物園がいいんだって。

おりの中の幸せを選んだ人たちが多かった。

今から10年前はちがっていた。自由がいいとほとんどが言っていた。いろい

ろ考えさせられるよね。

すごい意見があった。「動物園のおりの中の動物は、みんな王様になれる。そのおりの中にくんりんしている。使用人もいる。そして彼はおりで世界を囲んでいる」って。

そうだね。その子の言うところによれば、おりに入っていると見ているのはこっち側の見方であって、動物からすれば世界を全部おりにいれているということになっていくものね。

教室では「オー」という声が上がってみんな拍手した。

意見が大切というだけじゃない。この子は見方を持っていた。それを提供してくれたことによって、ますます議論が進んでいった。

正解の意見なんていうものはきっとないよ。どれだけ考えたか、人とどれだけちがうことが言えるか、そこに大切なテーマがあるということだよ。

ボクはそれを今年も君に求めていきたい。

 

 

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※出典:ザ・読書感想文‘96(高学年向け)