ぼくのじしんえにっき

これはすごい作品(さくひん)。今年(ことし)とりあげる作品(さくひん)ではなかなかレベルが高(たか)いね。

たんたんと書(か)き進(すす)んでいるけれど、語(かた)っている内容(ないよう)はすさまじいものがある。ケラケラ笑(わら)って読(よ)める本ではないな。楽(たの)しく、ふつうの語(かた)り口(くち)でありながら、とんでもないことが、その書(か)き手(て)の目(め)にうつっている。こうした本ばかりだと、日本(にほん)の児童(じどう)向(む)けの本(ほん)も充実(じゅうじつ)していくんだけどね。

 

1.じしん

つまりは、じしんが起(お)こって、そのあとの人(ひと)びとの生(い)きざまや、いろいろなドラマが展開(てんかい)しているということ。

とつぜん、何(なん)のまえぶれもなく起(お)こってくる災害(さいがい)。そして人(ひと)びとのなげき、悲(かな)しみ、苦難(くなん)。現実(げんじつ)に起(お)こってしまったら、きっとこうなるだろうな、と思(おも)うところがたくさんある。じしんというのは、みんなも知(し)ってのとおり、地面(じめん)がゆれ動(うご)くこと。だからその上にたっている建物(たてもの)なども動(うご)き、こわれてしまう。いまの世(よ)のなかや君(きみ)たちの家庭(かてい)、くらし、というものが、根元(ねもと)からゆさぶられるということだよね。それだけ、人(ひと)のくらしというものは、まだ自然(しぜん)の大(おお)きな力(ちから)のまえでは、コロッと形(かたち)をかえたり、心(こころ)もかえたりしてしまうものだと思(おも)っていいのかもしれない。

〝じしんで心(こころ)が変(か)わる〟〝じしんで人(ひと)が変(か)わる〟〝考(かんが)えが変(か)わる〟……そうしたところに、目(め)を向(む)けてみてはどうだろう。「じしんはこわいと思(おも)います」といった、だれでもいえるけど、中身(なかみ)のない意見(いけん)よりは、もっともっと深(ふか)い考(かんが)えに行(い)きつくように思(おも)うな。

 

2.けんか

君(きみ)もするし、みんなする。家(いえ)のなかだって、しょっちゅうケンカはある。

ここでも、おかあさん対(たい)おばあちゃんのケンカはおもしろい。プンプンしていながら、心(こころ)のなかでは「くやしい!」と思(おも)いながら、けっきょくは、いっしょにくらしているし、ひとつ屋根(やね)の下(した)で苦楽(くらく)をともにしている。

愛情(あいじょう)があるから仲良(なかよ)しだからケンカがある、というおばあちゃんのことばの意味(いみ)はたしかに尊(とうと)いね。けれど、それがみんなのなかに、社会(しゃかい)のなかぜんぶにわかっているなら、まだいい。けっきょくは、家(いえ)のなかだけでしかない。だから一度(いちど)、大事件(だいじけん)が起(お)こると、自分(じぶん)たちさえよければいい、という考(かんが)えになる。どうしてみんなが助(たす)けあっていくようなことにならないのか。たかがじしんぐらいで、心(こころ)が変(か)わってしまうような人(ひと)の弱(よわ)さのわけは何(なに)か……。これは考(かんが)える価値(かち)があることだぞ。

 

3.ぜいたく

このおばあちゃんとおかあさんのやりとりはだいたいが、それぞれの価値観(かちかん)のちがいだね。「もったいない」とか「ぜいたく」……というおばあちゃんの考(かんが)え方(かた)も、合理的(ごうりてき)にと考(かんが)えるおかあさんの考(かんが)え方(かた)も、両方(りょうほう)とも大切(たいせつ)なもの。

それぞれの考(かんが)えや価値観(かちかん)がうまく重(かさ)なりあい、つなげられて、よりよい生活(せいかつ)ができていく。しかもそこには、がまんもあるし、折(お)りあっていくゆとりもある。なんでもいわれたことだけをハイハイとするような人(ひと)はいない。自分(じぶん)をもっている者(もの)同士(どうし)だからこそ、苦(くる)しいときも、それをのりこえられるちえがうかんでくる。みんながおなじであったり、人(ひと)それぞれの価値(かち)を認(みと)めあわなかったりしたら、こりゃとんでもないことになる。じしんなどよりも、もっとこわいことになる。そんなふうにも読(よ)むことができそうだ。ちがいは価値(かち)ということ。

 

4.ちえ

きっとそれは、ただ本(ほん)を読(よ)んだり、勉強(べんきょう)したりというだけで身(み)につくもんじゃないんだね。ネコの大五郎(だいごろう)の声(こえ)などでも、危険(きけん)を感(かん)じてしまう。これは、テレビのじしん予知(よち)などの情報(じょうほう)にだけ頼(たよ)っていることに対(たい)しての、皮肉(ひにく)ですらある。なまずの例(れい)をあげるまでもなく、じしんや天変(てんぺん)地異(ちい)のときには動物(どうぶつ)は妙(みょう)なうごきをしたり、雲(くも)もへんな動(うご)きをするらしい。それは長年(ながねん)生(い)きてきて、しかも、もっとよく見聞(みき)きして、覚(おぼ)えている開(ひら)かれた自分(じぶん)であってはじめて、できることのように思(おも)う。ちえによって、ずいぶんこの家(いえ)は助(たす)けられている。そこに目(め)を向(む)けるのもいいね。

 

5.じしんの光景(こうけい)

下(した)じきになった子(こ)、ガラスのささった子(こ)、やけこげた子(こ)……。たんたんと場面(ばめん)を描(えが)いているけれど、これは壮絶(そうぜつ)な情景(じょうけい)だよね。一瞬(いっしゅん)のうちに生(せい)と死(し)がおり重(かさ)なってやってくる。この場面(ばめん)を、目(め)をつむって頭(あたま)に描(えが)いてほしい。そしていろんな光景(こうけい)をつぎつぎに自分(じぶん)なりに展開(てんかい)させてほしい。生(い)きるか死(し)ぬか、だよね。その場(ば)で人(ひと)は必死(ひっし)になって生(い)きようとする。そう!生きたい!生きよう!とするから人(ひと)はドアをこわし、まどをあけ、カーテンでおりるんだ。生(い)きているから生(い)きたいと思(おも)う。危険(きけん)から脱出(だっしゅつ)したいと思(おも)う。そんな姿勢(しせい)に目(め)を向(む)けてほしい。

生(い)きたいと思(おも)いながらも力尽(ちからつ)きた子(こ)、そう思(おも)う間(ま)もなく死(し)んでしまった子……ここにも「かわいそう」というだけではない感想(かんそう)を、導(みちび)いてほしいな。

だって、そんなことは、戦争(せんそう)や、火事(かじ)や、ひょっとしたらふだんの生活(せいかつ)のなかでも、いっぱいあることかもしれないもの。

 

6.なみだ

人(ひと)にとっての最初(さいしょ)の喜(よろこ)びの一つが、ここに書(か)かれている。また悲(かな)しみも、ここに書(か)かれている。

それは、生(い)きていたという者(もの)同士(どうし)のめぐり合(あ)いだ。ここでも、母(はは)と子(こ)が生(い)きていることを認(みと)め合(あ)って、喜(よろこ)びのなみだを流(なが)す。そして一方(いっぽう)が生(い)き、

一方(いっぽう)が死(し)んでしまうことによっての悲(かな)しみのなみだも流(なが)す。流(なが)すなみだはおなじでも、その意味(いみ)はちがう。喜(よろこ)びと悲(かな)しみは、いつも人(ひと)をわけ続(つづ)けてしまう。生(い)きることは、それになれることなのかもしれない……ボク、ちょっとしんみり考(かんが)えてしまいました。

 

7.としこちゃんに水(みず)をのませた

このおこないについて、君(きみ)はどう思(おも)うかな。これはあんがい大(おお)きなもんだいだと思(おも)う。自分(じぶん)たちの生命(せいめい)の水(みず)だ。いつ復旧(ふっきゅう)するかわからない。家(いえ)のなかにちゃんと水(みず)のあるということは、心強(こころづよ)いことだよね。それを、ほかの人(ひと)に言(い)ってはいけない、といったのは、自分(じぶん)たちを生(い)かしていくためには、やむを得(え)ないことのように思(おも)う。ところが、この子(こ)は、としこちゃんが小(ちい)さいしかわいそうだからと思(おも)って、こっそり打(う)ち明(あ)けて、のませてしまった。これはよかったともいえるけど、そのあともしもとしこちゃんが、自分(じぶん)の友(とも)だちを次(つぎ)つぎにつれてきたらどうなるだろう。それをとめることはできないように思(おも)う。秘密(ひみつ)というのは、やはりひつようなんだ。現(げん)に、としこちゃんのおかあさんもきたものね。いや、そうであっても、やはり助(たす)けるべきだ……。というように、ここでは自分(じぶん)の意見(いけん)を書(か)いてみると深(ふか)い考(かんが)えの文(ぶん)が生(う)まれてくるように思(おも)うな。

 

8.なさけは人(ひと)のためならず

そうだと思(おも)う。いいことば。けれどやるべきだと思(おも)ってやるのと、やればきっとお返(かえ)しがあるし、いいことがあると思(おも)ってやるのとは、やることは同(おな)じでも、気(き)もちはちがう。それは切(き)り口(くち)となるね。

 

9.パパが助(たす)かった

水(みず)のおれいとみるか、それとも人助(ひとだす)けとみるか、これは人(ひと)のおこないについての、君(きみ)の考(かんが)えが書(か)ける場(ば)だぞ。

 

10.ぼうどう

いろんな光景(こうけい)が書(か)かれている。それにまどわされてはまずい。要(よう)は「なぜぼうどうが起(お)きるか」を考(かんが)えていくことだ。そこには人(ひと)の感情(かんじょう)とか、ふだんのくらしと、異常(いじょう)なとき、または心(こころ)をおさえること、やさしさ、ものをもつ人(ひと)ともたない人(ひと)がみえてくるはず。世(よ)のなかの人(ひと)ぴとの心(こころ)や生活(せいかつ)、考(かんが)え、しくみを読(よ)むことをしてみよう。読解(どっかい)のいい材料(ざいりょう)だと思(おも)うよ。

 

11.ある、ない

これは大(おお)きなテーマだ。水(みず)やちえがあれば助(たす)かり、なければ死(し)んでしまう。そうしたことがあったときどうするだろうか。人(ひと)は自分(じぶん)を犠牲(ぎせい)にしても、自分(じぶん)の家族(かぞく)を犠牲(ぎせい)にしても、人(ひと)を助(たす)けることをするものだろうか。

 

12.危機(きき)

いつもいつもこうしたこととはあるものだ。じしんでなくても、火事(かじ)、病気(びょうき)、戦争(せんそう)……いろいろなことは、いつおきてもおかしくない。そうした生(い)きるかどうかのせとぎわのときに、人(ひと)は何(なに)をたよりに、何(なに)を信(しん)じ、どうしていけばいいのか、を考(かんが)えるテーマになるね。このためにこれはいい本(ほん)だといえる。

強(つよ)い者(もの)がパンをとり、弱(よわ)い者(もの)がとられる。弱(よわ)い者(もの)が、集団(しゅうだん)でひとり占(じ)めする強(つよ)い者(もの)から奪(うば)いかえす……。いったいなんなんだこりゃ、と考(かんが)えてみるといい。

 

13.ゆう気(き)

なにがゆう気(き)か、だよね。どうすることがゆう気(き)か。がまんすること、むかうこともだね。しかし、自分(じぶん)の身(み)を守(まも)ることもゆう気(き)だ。

 

14.あらそい

外(そと)も家(いえ)のなかも子(こ)どもの世界(せかい)もそうだ。あらそいは、生(い)きてる証拠(しょうこ)といえばいえる。しかし、それは見方(みかた)のひとつにすぎないんだよね。人(ひと)があらそうのはどうしてか、これもテーマだ。

ここでも主人公(しゅじんこう)はパンをとられそうになってけんかしている。だめとわかっても、あるいは、だめと思(おも)わずにも立(た)ち向(む)かっていくことは、人(ひと)として大切(たいせつ)なことか、逃(に)げつづけてしまうことはよくないことか、ここもじっくり考(かんが)えてみよう。

 

15.わかれ

会(あ)うとか、いまいっしょにいる、ということはかならず別(わか)れる、ということだ。それはしかたない。じゃあどうするか、合体(がったい)しちゃうか、それも一(いち)案(あん)。けれど人(ひと)と人(ひと)は別(わか)れて、もう会(あ)えない。生(い)きていても、死(し)んでも「とき」があるかぎりは別(わか)れだ。で、どうする?

 

16.死(し)はそつぎよ

この本(ほん)は、そんなあらわし方(かた)をしている。ひとつの考(かんが)え方(かた)だ。死(し)が、あ

たりまえのしゅうかんになってしまうことのこわさがみえるね。

 

17.回(かい)ふく

人(ひと)はこわれた町(まち)をつくる、そしてぼうどうもおさまった。兵隊(へいたい)さんがいるからか、それとはまたちがう。人(ひと)びとがまたもう一度(いちど)がんばろうとしてきたからだ。

不幸(ふこう)や暗(くら)やみから、混乱(こんらん)から、どうぬけ出(だ)すかのテーマが、ここにあるぞ。

 

18.成長(せいちょう)

それは何(なに)をさすか、ということだ。この子(こ)の経験(けいけん)、この子(こ)の考(かんが)え方(かた)、心(こころ)の動(うご)きを追(お)ってみるのもいい。ただ経験(けいけん)するだけでも、何(なに)かは身(み)につく。けれど、それにプラスして、何(なに)かがひつようだ、そこに目(め)をあててみるといいね。

 

*ザッと読(よ)んでみるとわかるけれど、かなりいっぱい材料(ざいりょう)がつまっている本(ほん)だといえる。こうした本(ほん)を選(えら)んでみると、いっぱい切(き)り口(くち)があって考(かんが)えはじめると一日(いちにち)や一(いっ)カ月(げつ)はたってしまうだろう。作者(さくしゃ)がものごとを大(おお)きくとらえているからだね。君(きみ)も自分(じぶん)自身(じしん)が危機(きき)にあったとき、どう自分(じぶん)をコントロールするか、できるかがわかるといいね。

ひょっとしたら「おおかみがくるぞー」ということばには、いつもだまされつづけていくことが大切(たいせつ)かもしれない。なんのために?やりつづければどうなる?……そりゃわからん。考(かんが)えてみてヨ。

 

 

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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ パート2(1・2・3年向)(1990年)

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ぼくのじしんえにっき

八起正道・作 伊東寛・絵 岩崎書店