キツネのまいもん屋

楽しい本だ。まぼろしの世界。おもしろいしかけ。こんな本は、むちゅうになって、ただ読みふけってほしい。そして、本の世界にどっぷりつかって   ほしい。

こういうタイプの本は感想文にするとき、自分の心に強く残ったdいん(・・)しょう(・・・)や感じたことを書きやすい。

げんそう的な世界だもの。ああだ、こうだと切り口をさがすのもいいけれど、まずは物語の世界をそのまま受けとめて、思いを語ったらいいと思う。

こういう「まいもん屋」は、さいきん見なくなったね。ン?さいきんブームなの?へえー。

ボクの子どものときにはやっぱりあった。学校の帰りにこんな店に行って、たしか五円とか一円というくじを引いた。それがクラスメイトに見つかって、先生に告げ口されてこっぴどくしかられたこともあった。でもこりずに行っていた。小六になったころに、とつぜん店がしまって、それから一回もひらかなかった。聞いたらその店の主人のおばあさんが死んでしまったんだ。ひとり きりで住んで店をやっていた人だった。

それから半年もしないうちに店はこわされてなくなっていた。ボクはそれっきりにたようなことをやっている店があっても行かなくなった。「まいもん屋通い」はそつぎょうだと思った。

でも今でもそのころのドキドキがわすれられない。「まいもん屋」での、  楽しくて、ワクワクした気持ちは残っている。この本を読んでひさしぶりに、あのころにもどれた。

くじで月は当たらなかったけれど、めっぽうくじ運は強かった。つき(・・)があったんだろうな。

 

【キツネ】

いろいろなお話や物語で一番多く登場するのはきっとキツネだ。なぜだろうね。つかいやすいのかな。

キツネは、化ける、化かす、という。

ほんとうかどうかはこのさいかんけいないね。でもきっとなにか意味はあるとボクは思う。

主人公のひさし君はキツネにまいもん屋へつれて行かれる。おせんべいを あげたお礼。子ギツネたちが十円玉でくじを引く。当たった、はずれたの運  だめし。

とうとうひさし君は月を当てる。すごいね。ここからなにかのメッセージを読みとってみたらどうだろう。

月がにせものというのではないと思う。ほんものであっていい。これはちょつとおもしろいことになるぞ。

 

【月】

みがいて、たいせつにして、夜空に投げる。落とすとこわれる。いいこと  言ってるじゃないか、大ギツネさん。「もちぬしはぼうやで、かんり人がわり」

じっさい、あの空にうかんでいる月はだれのものだろう。今のところだれも自分のものだと申し出ていない。ボクも自信がない。

けれど、みんなのもの。そしてボクだけのもの、と言いたい気持ちはある。月は月のものという言いかたもあるけれど。

こんなふうに考えてみた。じつは当たることになっていたくじだった。それによって、キツネやみんなにとっての月が、どんなにたいせつなものか、だいじにしているものか、それをわからせようとした。わかってもらおうとしたのは、自然を愛していく気持ちなのかもしれない。

この問題について、「なぜか」を考えてみるといい。

 

【月をくじで当てた】

なにげなく気にしないで見ていて、いつもそこにあるものだと思っていて、歌にもなり、夜を照らす。そんな月をもう一度発見するよね。

見なれた当たり前のものも、くじでまして当たれば、気づかなかったよさやおもしろさを見つけ出して、愛着がわいたりする。

これはおもしろいアイデアかもしれない。星うらないとか、十二支も、にたようなものだ。

「やぎ座生まれのあなたは……」「とり年の人は……」、なんて言われるといつのまにか、「えーと、やぎ座ってどこかな。」と星座ばんを見たりする。

このストーリーはげんそう的だ。でもとっても当たり前のことを見直しているようにも思える。

そのあたりに切り口はあるね。

 

【くじ】

「くじ」と「運」は切っても切れない。切りはなせない。

やればかならずこうなるということは、ほんとうは世の中にないのかもしれない。考えかたによるけどさ。

たとえば、ボクらはいずれは死ぬけれど、いつ死ぬかわかっているわけじゃない。飛行機事故にあっても、きせき的に助かる人もいる。高いビルの上から落ちてもけが一つしない赤ちゃんもいる。

くじは生きることにもかんけいしている。今の住んでいる家も、親も、これからの人生も、「運」しだいというところはある。

ぐうぜん(・・・・)なんてない、という人もいるけれどボクはあると思っている。しかし「運」を自分に引きよせることはできる。ボクも「運」のいいやつだと思っているけどね。きみはどうだろうか。

「ボクはくじ運のない人間です。この前も……」なんていう文が生まれたりする。ひさし君と自分をくらべて書いていくこともできるよね。

ひさし君はくじで月を当てた。子ギツネたちとも、当たったはずれたと、ワイワイやっている。「ひさし君の引いたくじはきっとぜんぶが当たりだったかもしれません。どれを引いても『赤い○のしるし』があったように思います。」なんていうのもおもしろいな。

 

【百円】

ひさし君は百円をつかった。子ギツネたちは、そんな大きなお金は持っていない。

いっぱいお金を出せば、その分だけ、返ってくるものが大きいことがある、ということだろうか。ふとこのキツネたちとひさし君のくらしぶり(生活のようす)のちがいを感じてしまった。

百円で月が自分のものになる。そう聞いたら、きみはこのくじを引くだろ うか。

そこから入っていく方法もあるよ。

 

【空色のほうそう紙】

空につつまれた月。うまく考えられているじゃないか。まさにお月様のようすだね。

毎日みがいてかがやくようにしたり、かげぼししたり、つつんだり。この大ギツネの言っていることは、月をかけがえのないたから(・・・)としてあつかっていることをしめしている。だいじにしているんだね。

月のことをこんなふうに考えられたら、思いえがくことができたらすてきだ。

太陽だってそうだ。風だって、星だって、生き物だって、こんなふうにかわりになるものがないと考えたら、きっとたいせつにしていくだろう。

この日をさかいに、ひさし君はきっと月も、いろんなものも、自分にとってのだいじなものだと思って、とくべつの思いで見ていくはずだ。

こういうふうに思わせたのは、キツネたちの作戦だったかもしれないけどね。そうだとしたら大成功だ。

 

【自分のもの】

ふと思ってしまった。ぜんぶが自分のものだと思うことができたら、ボクらはそれをたいせつにし、たから物のようにしていくだろうか。

ボクのある教え子は、

「目をつむるとものが消える。目をひらくとものがある。この世界のものはボクの目の中に、思い出の中にある。」

という文を書いた。すごいよね。

これはボクの土地だ。ボクの自転車だ。なんて言って「ボクのもの」を   せっせと集めることをしているのが人間。

買ったものだからといって自分のものか。もらったものだからといったって自分のものか。自分のものになったからって、なんだというんだろうか……。なんていうことを考えてしまう。死んでしまったらなんにもならないかもしれないのにね。

世の中に「これは自分のもの」という、たしかなものがあるのだろうか。

なぜ自分のものにしたがるんだろうか。

この二つの問題をといてみないか?

読みとりの、感想文の核心(中心)になるよ。

この「まいもん屋」がボクたちに投げかけているのはそれかもしれないよ。

 

【しくみ】

もう一つのテーマは「しくみ」だと思う。きみの持ちもの、ボクかんり。   そこから広げていくと、この世の中のうごきの「しくみ」が見てとれる。

そんな切り口でこの物語を読んで、もう一度、感想を組み立ててごらんよ。

これは、なかなか味わいがあって、深みのある、(ちょつと大人っぽい?)  感想文になるよ。

 

【自然ほご】

みんな言ってるよね。「自然をまもろう」「たいせつにしよう」。そしてなにをしているかといえば、今の生活ぶりを大きく変えることはしない。

作文に書いたり、心がけようとはしてもなかなか実行はできない。

この物語を読んで感じることは、みんながこのひさし君のような、大ギツネのような気持ちを持ったら、まず考えかたが変わっていくということ。

ただたいせつにしようというのではきっとダメなんだな。その点この作品は、一つの「ていあん」をしているようにも受けとれる。どう思う?

 

【みがいている】

なにを?どうやって?

これだよ、これ。これは切り口になる。

大ギツネが毎日やっていることを頭にうかべてごらん。場面を思いうかべてみようよ。

月をみがこうとしても、じっさいはちょつと遠くて手がとどかない。でも ボクらはみがくことができる。

まるでなぞなぞだねえ。

目とか、感覚とか、気持ちとか、見ている自分のほうをみがくことで、自分をよくしていくことで、月がみがかれて見えてくる。心に映ってくる。

この考えかたを持つと、ガラッとちがう発想や考えかたが生まれていく。

そこから、新しくて、いきいきとした意見が生まれていくはずだ。

 

これもよくよく読んでいくと、いろんな考える材料が見つかっていく。この本もおすすめだね。今年の課題図書はなかなか力作が多い。

感想文も書きがいがあるってもんだ。

とくにこうしたわざとらしさのない、考えさせるポイントをいっぱい持っている作品は、しっかりと力をこめて取り組んでいける。

ホント、いい作品だよ。たっぷり楽しんで、書いてごらん。

 

 

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※出典:これできみも読書感想文の名人だ(1999年)

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キツネのまいもん屋

富安陽子・作 篠崎三朗・絵 / 新日本出版社