わたしのとくべつな場所

わたしのとくべつな場所

パトリシア・マキサック・文 ジェリー・ピンクニー・絵

藤原宏之・訳 / 新日本出版社

 

今年の課題図書の中では出色(しゅっしょく)の一冊だ。

テーマもハッキリしている。人種差別という社会問題とその歴史。やはりこういう本がないとね。

問題意識がないと文章なんて書けない。問題意識がない本は、読んでいても、引っかかりがない。刺激(しげき)もない。考えがゆさぶられない。

人は問題意識があるから、むかしから書いてきたんだ。

その問題があることを知らせるために書く。

その問題について考えさせるために書く。

ただ、共感を誘ってファンを増やせばいい、そんな本とは違うんだ

 

☆本は大切なことを語り継いでいく

人種差別は、むかしの話ではない。今でもある。

差別はよくないといっても、なかなかなくならない。それどころか新たに差別が生まれていたりする。

肌(はだ)の色で差別されるなんて、どう考えたって理不尽(りふじん)だ。そんなことがいつまでも続くはずはない。しかし現実には、まだまだ続いている。

法律では平等となっても、現実が変わっていく、その道のりは遠い。

だから何回も何回も、こういうことがあるのだと伝えないといけない。それが本の使命のひとつなんだ。

 

そういえば、今年は戦争についての本が課題図書に入らなかった。ちょっと前までは必ず一作は入っていたんだ。

戦争の話なんて、もう陳腐(ちんぷ)かもしれない。だけれど、戦争のことは語(かた)り継(つ)がないとならない。だから、これからも戦争の本が必要だ。そして、ボクらはそれを読まなくてはならないと思う。

 

人種差別をテーマにした本は、オバマがアメリカ大統領(だいとうりょう)になってからは、毎年課題図書に出されているようだ。オバマ大統領とは関係ないかもしれないが気になる。いや、読み手が関係づけてしまうということだね。

アメリカではじめて黒人大統領だもの、やはり歴史的なことなのさ。アメリカでは、日本にいるボクたちが想像する以上の大きな変化があるのだと思う。

 

☆アメリカの自立した女性の姿勢(しせい)

この本のおもしろさのひとつは、主人公の女の子パトリシアがいろいろな人からかけられる言葉にある。どれも、なかなかしゃれているんだ。

「どんなことがあっても、胸をはって歩くんだよ。」

おばあちゃんに言われたこの言葉のとおりに、パトリシアは正面を向いて歩いていく、そして、何が起こっても、ちゃんと向き合っている。

ここがいいんだ。ウジウジしたり、なよなよしてはいない。毅然(きぜん)としている。アメリカにはそういう女の人が少なくない。

アメリカは国務(こくむ)長官(ちょうかん)だって女の人だ。社会に向かう自分の姿勢がしっかりしている。この本の中から、そこを見ぬいていってほしい。

こんな場面がある。

こんな文章がある。

こんな言葉がある。

そうやって、ひとつひとつ拾い上げていけば、ハッキリ見えてくる。

 

「胸をはって歩く」これは、晴れ晴れとした姿だ。悲しいことがあったり、理不尽なことがあっても真っ直ぐに胸をはって歩く。

今の日本にも大切なことではないだろうか。大災害を悲しんで、なげいているだけじゃなくて、胸をはって、真っ直ぐ前を向いて歩いていく。

そうして明日は作られる。悲しいと言って、待っているだけ、人に頼っているだけでは明日は来ない。

 

☆会話からアメリカの文化が見える

主人公のパトリシアはかわいいね。いっぱしのレディーだ。

出会う人たちからレディーとして扱われるし、パトリシアもそうふるまっている。

「おや、きみは、空からおりてきた天使かな?」

ホテルのドアボーイがそんな言葉をかけている。

レディーとして扱われることで、レディーになっていくということなのかもしれない。

ちょっとした会話のやりとりの中から、アメリカという国が見えてくる。

アメリカの文化の力が見えてくる。

日本のように、子どもを子ども扱いしているだけなら、大人になれるものも、なれないままになってしまう。ちょっとくやしい。

 

「花にはこれ以上、水はいらないよ」

泣いているパトリシアに、花だんの世話をしている女の人が声をかける。

しゃれているね。「どうしたの」「なんで泣いてるの」などとくだらない質問はしない。

この言葉から、この女の人の生き方が見えてくる。

泣いていたら道が開けるというものではない。必要なときのために涙はとっておこう、そう考えている。

「泣きたいときには泣いたらいいんだよ」そういう考え方ではないんだ。ひとつひとつのセリフから、人の生き方、考え方を見つけることができるんだ。

 

☆絵も読解するんだ

この本は文もいいけれど、絵がすてきだ。一九五〇年代のアメリカの匂(にお)いがする。

じっくりとすみずみまで味わってごらん。文章以上に、絵から伝わってくるものがある。こういうところはちゃんと見て、読解して、評価しないとダメだよ。

ときに絵は言葉以上に多くを伝えることができるんだ。この本では絵を鑑賞(かんしょう)していくのもいい。

 

☆人が人を差別するのは「なぜ?

「何を考えるかを命令することはできないんだよ」

はじめてバスに乗ったとき、おばあちゃんがそう言ったという。いいことを言うものだ。

たしかにそうだ。何をするかを命令できても、考えることまでは命令はできない。

ここで気がつくことは、差別されている人は、どんどんかしこく成長していくということだ。

差別しているほうは、何も考えないし、気がつかない。差別されているから、こういう考えが出てきたんだ。

「差別はいけない」それだけ知っていたらいいのではない。差別の現実をよく知ることで、より深く考えることができる。

もし「差別されている」と思うことがあったら、そこで考えることだ。いい、悪いだけならかんたんだ。悪いに決まっている。

人はなぜ人を差別するのだろう。「なぜ?」それを考えてごらん。

「なぜ?」という言葉で、ズバッと本質に切り込むんだ。この本で、切り込むべきはここだよ。

 

☆理不尽を受け入れること、立ち向かうこと

一九五〇年代のアメリカは、町中どこでも人種差別だらけだ。

バスの座席も、公園のベンチも、レストランも、ホテルも、はっきりと黒人を差別している。

「ばかにしているわ」とパトリシアもつぶやいている。そうだ。そのとおりだ。気分が悪くなる。

この現実を、彼女はどう受けとめて、その国でどう生きようとしているか?それを本文から導いてみよう。そうだ。これも生きる姿勢ということになるね。

他の登場人物と、パトリシアの姿勢を比較してみることもできる。

「気にしないで、楽しい気持ちになった方がいいよ」

プレッツェル売りの黒人青年は、そう言っている。

たしかに、それもひとつの姿勢、ひとつの考え方だ。いくら差別されたって、気持ちの持ち方ひとつで楽しくだって生きられる。たしかに事実そうだろう。

でも、この考え方と、「世の中の仕組みを変えていくんだ」という考え方は対立することになりそうだ。どちらが正しいんだろう。

どちらが正しいとは決められないのではないだろうか。いつの時代でも両方の考え方がある。

「考え方ひとつで気持ちは変わる」たしかにそうなんだけど、この姿勢は思った以上に自分にがまんを強(し)いることになったりもする。

「考え方ひとつ」と思いつつ「ばかにしてるわ」と立ち向かっていく姿勢が、実際に現実を変えていく。そう単純にはいかないが。

ここも、この本の大切なテーマだ。

 

☆「もしも」正反対の世界があったら?

差別はよくない。それなら、正反対を考えてみよう。

なんでも「平等な世界」というのはどうだろうか?それって、どういう世界かな。

みんながすべてを平等に分け合う世界。がんばった人も、さぼっている人も力のある人も、力のない人も、すべて平等に分ける。

そんな世界なら、人はがんばろうとするだろうか。

似たような言葉に「公平」という言葉がある。でも平等と公平は違う。

公平というのは「その人に応じた」ということだ。「公平な世界」があるとしたら、努力して力をつけたり、がんばって結果をだしたら、それに応じて分け前も変わってくる。

「公平な世界」というのはいい世界なんだろうか?

「その人に応じた」というのは、実際に決めるのはなかなかむずかしい。割り算のように、きれいに分けられない。

無理にきれいに分けようとすると、もめることになる。これは延々(えんえん)と続いている政治のテーマでもあるんだ。

単純に「公平が正しい」とだけ正解を言っていたらいいというものではないんだね。

 

☆本は自由への入り口だ

町中差別だらけのアメリカで差別のないところがあった。

アメリカでは一九五〇年代の後半に、図書館でも差別は撤廃(てっぱい)されたという。そこに差別はない。

そこがパトリシアの「とくべつな場所」だったんだね。

 

「自由」という言葉は、差別に苦しんだ人たちには特別な響(ひび)きがあるんだろう。

差別された人は、何が自由かを知っている。自由でないことがあったから、自由がわかる。

図書館というのがいいね。やはり本だ。

本の世界で、調べたり、想像したり、考えたり……。それはすべて自由にできるんだ。そうでなくちゃ。

本の世界にはなんの差別もないんだと言っているようだ。そうなんだ。本は人を差別しないんだ。

 

※上記の著作権は宮川俊彦にあります。
※無断での転用・転載を禁じます。
※出典:読書感想文書き方ドリル2001(2011年)