赤毛のアン

カナダの美しい島に住む年取った兄弟マシューとマリラは農場の手伝いとして、孤児院(こじいん)から男の子を引き取ることにした。

しかし、駅で待っていたのは。どういう手違いからか、やせっぽちで髪の毛が真っ赤な十一才の女の子、アン・シャーリーだった。

二人は最初アンを孤児院に送り返そうと思ったが、アンのもうれつなおしゃべりややさしい性格がかわいくなり、引き取ることに決めた。

アンは、数々の失敗やゆかいな事件を次々と引き起こしながら、初めての「人間」の友達ダイアナや、おせっかいなリンド夫人、大好きな学校の先生や牧師夫人、勉強のライバル、ギルバードなどとの交流を通して、子どもから若い女性へと成長していく。

◎とっちゃまんのここに注目!

運命にまっすぐ立ち向かっていく勇気と明るさの物語。そんなふうにとらえることができるよね。アンの姿勢やキャラクターがじつに魅力的。物語には映画そのもののような広がりがあって、思わず引きこまれる。

トムソーヤやハックルベリー・フィンの物語もそうだけど、北米の文学には、ものにこだわらない自由な雰囲気(ふんいき)やたくましさがあるよね。

・アンの魅カ

アンの生い立ちは悲しい。暗い。でもアンは素直だ。思ったことをなんでも口にできる。

おしゃべりも、空想にふけるクセもいいことだよね。人は現実にしばられているけれど、心や想像の世界は自由だ。そして、心の世界を深くするって、自分自身や周囲の人間を「照らす」ことにもなるんだよね。

おとなしくて手がかからない子がいい子だといわれがちだけど、それって親の都合かも。やっぱりアンみたいな子って、カワイイよな。

・働くこと

ボクの印象に残ったのは、この本の中での子どもの扱われ方だ。つまりは、家の手伝いや子どもの労働力っていう意味で。

『大草原の小さな家』なんかでも、子どもたちはみんなよく働いているよね。家族全員が働いて、力を合わせて、生き生きと暮らしている。生きているって感じだ。昔の日本の家族もそうだったんだよ。

今の日本の子どもの仕事は、学校へ行くことと勉強だけ。いいのかなあ、それで。生きるってどういうことさ?

・プライド

アンは侮辱(ぶじょく)されるということについて敏感だ。すぐに腹を立てる。これはプライドの問題だよね。自分への誇(ほこ)り。それがアンを怒りにかり立てる。

容姿や気にしていることについていわれたら、だれだって腹が立つ。コンプレックスを刺激されるからだ。しかし、その、一見マイナスに思える点こそ、自分らしさだったり、個性だったりすることも事実。つまり、コンプレックスや批判をどう受けとめて、どうプラスに変えていくかが問題なんだよね。

アンはたいしたものだ。失敗をくり返しつつも、つねに上昇していくよね。成績も抜群。人との関係もどんどん深めていく。すごいよな。

・ボクの友人の話

「赤毛であっても、孤児であっても、彼女は白人だ」といったボクの友人がいる。「黒人なら、アンのようにはいかなかったかもしれない」という意味だ。彼は米国人で黒人。日本で暮らすボクらには、なかなか思いつかない読み方だ。

人生にくっついてくる条件って、さまざまだ。はね返そうと思っても、はね返しにくい場合もある。きみはアンの物語をどう読んだだろうか。

いい作品だな。目頭が熱くなる。アンを応援したくなる。その魅力は何だろう。正体をあばいてみたいよね。

 

 

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※出典:読書感想文おたすけブック

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赤毛のアン

モンゴメリ・L・M・作 村岡花子・訳 / 小学館