おしゃべりなたまごやき

◎みんなは、どうして朝(あさ)おきたら「おはよう」とか、ごはんを食(た)べるときは「いただきます」とか、学校(がっこう)から家(いえ)にかえるとき「さようなら」なんて言(い)うと思(おも)う?考(かんが)えてみたらふしぎだよね。おたがいがもっとふかくわかりあえるからかな?「目(め)と目(め)をみつめあう」のだっておたがいの心(こころ)はつうじあえるし、朝(あさ)、目(め)がさめたのなら、「おはよう」なんていみのないことばをかわすよりも、「おきたぞー」「オレもおきたぞー」なんていうほうが、もっとおたがいの気(き)もちがわかりやすい。この王(おう)さま、「あ、うん」としか返事(へんじ)をしない。それだって、味(あじ)もそっけもない返事(へんじ)なんてことはいえないのではないか。

◎王(おう)さまが、とりごやをあけてしまったりゆうを考(かんが)えてみよう。王(おう)さまは、にわとりがかわいそうに思(おも)えたんだよね。でも、王(おう)さまにしても、外(そと)の世界(せかい)をまったく知(し)ることのできない、お城(しろ)というとりこやにとじこめられているということでは、にわとりとまったくおなじなんだ。そういったにわとりに対(たい)する、同情(どうじょう)の気(き)もちもあったとはみられないか。

◎王(おう)さまがにわとりにかけたなさけというのは、どんないみがあったんだろう。人(ひと)の気(き)もちのわからないにわとりが、喜(よろこ)ぶとでも思(おも)ったんだろうか。王(おう)さまが「わしは正(ただ)しいのだ」と、ひとりで思(おも)いこんでやったにすぎぬことだったのかもしれない。どう思(おも)う?

◎(たまごって何(なん)だろう)たまごのきみがしゃべるということ。これは、めんどりが王(おう)さまのしゃべったことを、たまごのなかにしまっておこうとしたことのあらわれでもある。こうしてみると、たまごは「ひみつ」ということもいえるだろう。

また、”コロンブスのたまご″って知(し)ってるかな?あたり前(まえ)のことをやっていく意志(いし)が大切(たいせつ)だ、ということ。たまごはふだんあまりにもあたりまえにしすぎて、見(み)うしなってしまっているもの、とたとえることもできる。まだまだたまごっておきかえられるよね。たまごのからがやわらかすぎては、つぶれやすいし、かたすぎると、なかからヒナが出(で)てこられない。このあたり、考(かんが)えてみるテーマだ。

 

 

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※出典:きみにも読書感想文が書けるよ

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おしゃべりなたまごやき

寺村輝夫・作 長 新太・絵 / 福音館書店